12.二人の足跡











今は誰もいないグラウンドが、春先の光に白く照らされる。
グラウンドの端々に咲く桃色の花は、桜ではなく梅。
寒さの中で蕾を開かせたそれらは、鮮やかながら、物悲しさを含んでいた。
ようやく気温を上げてきたこの頃、このグラウンドもきっとたぶん、しばらくは見納め。
こうして足を踏み入れるのも、当分ない。
3年。
人生、今や80までは生きる人間が大半だというのに。
そのたった3年が、人生の中でも一番大きいといわれる所以が、今ならばよく分かる。
さすがに、涙ぐみはしない。
込み上げるものはあっても、簡単に泣いてはあまりにも恰好がつかない。

18年の中でも、一番濃い時間を過ごした3年間。
一番楽しい時期だった。
毎日のように聞いた金属バットが硬球を叩く音、ミットに収まるボールの快活な音。
1年からずっと、この場所にいた思い出のほうが深くある。
学校の中よりも鮮明に思い出せる構造。
そこには年が来るたびに増えていく後輩たちと、3年連れ添った仲間達。
残像のように、幻聴のように、ゆっくり風に流れていく。
3年前の今頃は、入試の結果に少しの期待と不安もあったころ。
今も少し似ているけど、あの時は、中学とは違うもの寂しさがある。
連れ添った仲間は、歩む道がそれぞれだ。

早くて、毎日本当に楽しかった。
最後の練習を、今も忘れない。
少し、涙ぐんでしまった。

3年最後のクラス替えでも、結局一緒になれなくて。
距離も前より開いてしまって、去年の初めの頃はそのことでずっと拗ねていたっけ。なんて。

一度思えば次々思い出してしまう記憶。



きっとこれ以上の好敵手はいないだろう。
3年間たった1席をかけて争って。
何度も移り変わった打席の名前、初めは偏っていたそれも、最後はほとんど交互だったとか。
衝突したのは1度や2度じゃない。

喧嘩はたくさんした、結局はどちらともが謝って終わって。
分かり合えなくてどっちも怒って、なんて。ざらにあることだった。
今になっても喧嘩はする、些細なことで。

誰もいないバッターボックス。
そこにはこの3年で、何度立ってきたのか。回数にしても思い出せない。
目まぐるしく変わる情景。
バッターサークルで横顔を見つめるとき、その力強さに頼もしさを感じてみたり。
打率や才能を羨ましいと、背中に隠れたくなったこともあったっけ。
これから、何度お互いを競い合うことができるのか。



フェンス越しに見える景色が、少し目に痛い。
まだ時間が、あったから。
そう思って、毎年毎年、半分サボっていたような、卒業式。
今こうして、その時を迎えていると、不思議な気分になる。
地元を離れるから、いつ帰れるかなんて、わからない。






行く場所は、結局最後の最後まで聞かなかった。
お互い。
進路の話題は無意識に避けて、こうして直面するまで、逃避して。
離れてしまう現実を見たくなくて、一度も、話さなかった。
まだ時間はある、迫るリミットも、見ない振りをして。





きっと離れ離れになることは見えているから。





綺麗にならされた地面。
一日の終わりにとんぼをかけて、次の日の朝その整然とした空気に心を弾ませて。

きぃ、と錆びた音をさせて、フェンスを開く。
なるべくなら足跡はつけたく、なかったけど。

もうこの場所に立つことは、しばらくないから、最後に少し。

まっすぐ向かうのは、バッターボックス。
決して広いとは言い切れない、西浦のグラウンド。
他の部活が活動中の時間は、内野だけしか使えなくて。
バントの練習ばっかりしたな。
ホントはもっと、飛距離の練習、とか。
そんなことはたぶん、考えてなかった。
毎日生きるだけでいっぱいいっぱい、勝ちたい気持ちはあっても凹凸はつけなかった。
どんな練習も楽しかった。



一日の終わりが、ふと切なくなったのはいつ頃だったろうか。

まだバットを握っていたい。
まだボールを投げたい。







楽しかった。毎日。







一生忘れないだろう時間。



きっとこの先、このメンバーでまた練習して、試合してなんて、ない。
そう思うと、ホントはすごく悲しいけれど。
泣くなんてのは、やっぱり格好悪いから。



いろんなことがあって、でもそれは、全部楽しかった。



心の底から大事だと思える、仲間がいたから。
腐ったこともあったのに、いつも見ていてくれた仲間。
主将として、これ以上の仲間はいない。
不甲斐ないこともあったのに、何も言わず見守ってくれたこと。

そんな仲間と、好敵手がいて。
大事にしたい、そう思えることができて。

恥ずかしい台詞だ、我ながら。









「やーっぱここいた、はない見っけ。」









「!―――田島…。」


「教室行ってもいねーんだもん、ここだと思った。」




寂寥を破る、明るい声。
聞きなれた声、振りむかなくても分かるのに振り向いて。
ならされた地面に、また一つ足跡が増える。





「終わったな、卒業式。」

「おぉ…。」

「はないもやっぱさみしそー。三橋なんかわんわん泣くんだぜ。」

「はは、三橋らしいな。」

「泉も、なんかやだって言ってたし。」

「…珍しいな。」

「ったりめーだろ、みんななんか、やだってた。」

「―――田島も?」







「やだよ、だってまだ、みんなと野球してーもん。」









ホントに楽しかった。
目で語る、少し目が赤いのは、気のせいだということにしといてやろう。
3年経っても、縮まらなかった身長差。
それを少し残念に思ったり、でも、よかったと、思ったり。
無性に、抱きしめたくなる。
ほっとけばきっと、勝手に抱きついてくるんだろうが。
来たらきっと、ここが学校のグラウンドだなんて忘れてしまうくらい強く抱きしめてしまいそうだ。





「いろいろあったよなぁ…。」






しみじみ語る、あぁ、としか返答出来なくて。
言葉に詰まってしまう。
いいよな、家が近くて、いつでもこの景色を見られるから。





「はないともいっぱい喧嘩したし、でもそれもさ、すげ楽しかった。」






同じ気持ちであったことが、たったそれだけが、嬉しくて。
次から次へと、限度もなく飛び出してくる思い出。

必勝祈願に毎年初詣に行って、二人でばっくれたり。
合宿中に抜けだしてみたり。
後輩の前でもお構いなしにひっついてきたこと。
授業も、嫌だったのに、何回かサボってたな。
分かり合えなくて無性に腹が立ったり、仲直りができたときの嬉しさは一入で。
けじめけじめと、練習中は絶対甘えさせなくて。
二人きりの時、目一杯甘え合って。
たくさん触れ合って、キスもたくさんした。
人には言えないようなことも、親に隠れて相当した。
触れ合っている瞬間のこの上ない幸せは、今でもこの胸の奥にしっかり焼きついている。



気付けば3年、ずっと一緒にいて。

試合の結果が嬉しすぎて人前で抱きしめてしまったこと。
後輩たちがいるのも気にせず、あの感動が、忘れられなくて。
みんなで泣いて、俺も田島も、泣いて。
抱き合った、あの日が今、過去にあるなんて。
手を伸ばしても届かないのが、あまりにも惜しい。
忘れられない、忘れたくない、一生で一度きりの、飛びきりの感情。

一緒に共有出来た、あの最高の瞬間。






「終わっちゃった、よな…。」






今日が終われば、もうしばらく会えない。
家を出る予定だったから、その準備もあるし、と。
そんなの建前にしても、離れたくないと、ぐずってしまいそうな自分が嫌だ。
お互いの行く先も知らないままだなんて。
恥ずかしくも恋人としては、あるまじきなのかもしれない。
でも今、そんな気持ちも一緒なら。
























「田島、お前…どこ、行くんだ?」












ようやく聞けた。
小さな度胸が、嫌になるほど悲鳴をあげる。
離れてしまうのが怖いと。
嫌だ、と。

離れてしまっても、思い合っていける自信がないから、なんて言葉さえ過る。
あまりにも重たい言葉がいくつも浮かんで、薄暗い気分にさせるから。
どうかどうか、せめて笑っていてほしい。
いつでもそうであったように、チームの士気を司る、笑顔で。

黙ったまま後ろを向く彼がいつもより遠のいて見えるのは、気のせいだ。
距離なら、バッターボックスと、ネクストサークル。
たったそれだけの、距離だ。











「どこ行くと思う?」



「知んねぇよ、聞かなかった、し。」



「オレも、話してねーもんな。」



「…もったいぶんなよ…。」









「オレははないが行くとこ、知ってるよ。」









「え。」














「はないが行くとこ、すげー近ぇんだ。違うとこだけどな、オレ、頭悪ぃし。」









振りかえって意地悪げに笑う、その笑顔がいつになく切なげで、愛おしい。
駆け寄って、抱きしめて。
少し濡れた瞳が物語る悲しさと、これから募る嬉しさと。
全部全部、腕の中に納めてしまう。












「…親説得すっからさ、ドーセイとか、しねぇ?」

「バカお前、んな行き当たりばったりなこと言ってんじゃねぇよっ…!」













バッターボックス。
ネクストバッターサークル。
バックネット。

その光景は整然としていて、静かだけど。
どんな荘厳な作りより、今はよっぽどドラマチックに見えた。



足跡が重なる。
たった3年という、大きな流れからすればたったそれだけの、小さな年月かもしれないけれど。
それでも3年の間に残した足跡は、あまりにも大きかったのだと、思う。

共に生きていく、この先も、足跡が重なるまま。
3年の間と同じ時間は、この先絶対にあり得ないけれど。
またこの先も、何度も何度も。

そのたびに、足跡を残せばいい。
ほんの一瞬の、時間さえも足跡に変えて。





二人の足跡―――長かった、なんて。ほんの一瞬に感じているくせに。





END







定番の卒業式もの。
梓さんが最終的にホームランバッターに成長しましたという話(ぇえ
西浦2強みたいな名前で、打率の田島、強打の花井みたいな二つ名がついてたら面白いなとか。
梓さんは必死に志望校の資料とか隠してただろうけど、田島は盗み見とかうまそうなのであっさりバレてます。
田島はきっと大学のレベルの高さに絶望して、まったく違うところに行くのが嫌だった。
一緒は無理でも、せめて近く。
でも野球はするよね、二人とも。ちゃんと強いとこには行きそうです。
大学の野球がどんなもんなんかは分かんないんですけどねw
足跡ということで、西浦の軌跡に重点を置きました。
甲子園については…濁します、断言はしません、それぞれのご想像しだいということで(ぇ