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それは何も知らない、無知の光だった。 あまりにも大きく浸食するそれは、最後を飾るに相応しいだけの光だと、僕は思った。 日に日に内で増す光。 壊してもらおう、この世界を全部。 そうすればきっと世界はもっと綺麗なものにかわっていくだろう。 ならばその光は、この世の邪悪を知ってはならない。 笑おう。 その光が何も知らないまま、神として降臨するその瞬間まで。 その時どうか僕を、その光に飲んでください。 輪郭が燃え切るほどの、光熱で。 眩暈もただのガラクタであれば ― No way out ― その日、彼が一度たりとも不自然に笑むことはなかった。 それが当然であるように、それが彼の本来の姿だとでも言うように。 ただの一度も、その影をつかませることはなかった。 常に優しく、常に気を配る、理想の副主将。 その姿が揺らぐことは、まったく、ほんの一瞬もなかった。 ほんの半日前には冷たく凍った笑みを露呈したというのに、彼はいたって自然だった。 まるで昨日のあの笑顔こそが、何かの間違いだとでも言いたげな。 オレは何も言わず、ただその笑顔に翻弄される。 ようやく走りだせると思った、その瞬間だったのに。 ほんの数時間で、ただ茫然としていることしかできなかった。 壁があまりにも高い、恐ろしささえ感じるほどの強敵。 怖い?まさか、愛おしいほど。 そうやって奮い立たせていても、やっぱり彼は自然なままだった。 放課後の着替えの最中も、気付けばもう終わってしまっている。 傷のことも、赤い何かも、一瞬背けたその瞬間にはもう、隠れ切ってしまっている。 溜息すら、もれてしまいそうだった。 花井と阿部にどうなのか、と聞かれて。 オレは何故か勘違いだった、と言って盛大に怒られた。 何でそんなことを口走ったのか理解に及ばないが、それは小さな独占欲だったのかもしれない。 そういうことにしておく。 相当馬鹿な選択だった、以降、もちろん田島や泉に頼る気はない。 それは危機を感じての早鐘を鳴らした結果だったとしたら、その行動自体はたぶん、間違いじゃない。 一人で十分だ、これは。 昨夜何度となくめぐらして答えを再度確認して、鞄を持ちあげようとしたその瞬間。 ばしん、と、頭の頂点に重たい痛み。 「いって!?何!?」 「何じゃねーよこの馬鹿、今日の日誌当番はお前だろ、クソレフト。」 「ひっど!!阿部ひっど!!叩いた上にクソ呼ばわりするなんて!!」 「事実じゃねーか、さっさと書いてさっさと帰れよ。」 「うぅ…。」 なんてひどいやつだ、体と心と両方にダメージをくれるとは。 そんな様子を見てみんなは笑ったり、はたまた苦笑していたり、呆れていたり、様々だった。 これが日常。 昨日のあの笑顔が、非現実だったとしたら、今オレはこんなに悩んでない。 頭の上に放置された日誌に隠れて少しオレは疲れたような顔になって、でも顔を上げればすぐにいつもの通り。 まったく微動だにしない日常が、そこにある。 と、その瞬間までは思っていた。 ―――栄口の目が、酷く細められていることに、気付かなければ。 オレを見る目が、痛い程細まっていた。 じり、と睨まれるような、目が。 微動だにせずじ、とこっちを見ていた。 咄嗟に固まったオレを周囲が再び茶化し始めると、その眼はまた、日常に戻ったのだけど。 あの眼だ、いつか深追いした時の、あの目。 忘れもしない強烈な眼光が、今の一瞬にあったんだ。 それが日常だということをようやく思い出して、非現実に浸る心を叩きだした。 思うが早し、オレは残る面々を早々に追いたてる。 適当なことをでっち上げつつようやく人が消えた空間には、オレと栄口だけが残った。 備品の椅子に腰かけて、彼はまださっきまでの余韻を残して笑っている。 別段何かをするわけじゃないけど、オレは部室の鍵を閉めた。 なんとなく、そう、なんとなく。別段、意味があるわけじゃない。 かちり、と音を立てて落ちる錠、栄口にも聞こえていただろう。 「鍵閉めて何するの?」 背中に投げかけられる、声。 それはいつにも増して甘い甘い声なのに、オレは振り返るのが少し怖かった。 違う違う、怖くはない。 く、と振りかえれば、栄口はまだ笑っていた。 まだっていうのはおかしいのかもしれない、その笑みは、さっきまでの笑みとは格段に違っているから。 言うなれば昨日の夜の、冷たい笑み。 嘲りを込めた、彼の本心。 ようやくまた、見えている。 見通すような眼光は、きっとオレの心が震えているのをとっくに知っているんだろう。 「何もしないよ、日誌書くだけ。」 「ふぅん、別に鍵かける必要性なんてないんじゃないかなぁ。」 「いーでしょ、オレ、そんな栄口他の誰かに見せたくないの。」 言ってから、あ、と口を抑える。 あぁそうか、これが本心なんだ。 それでね、うん、納得。それが自分の独占欲なんだと思えば、丸きり説明がつく。 それを聞いた栄口は、一瞬不可解そうな顔をして、また嘲笑った。 「おかしな奴、水谷ってよくわかんないね。」 「そかなぁ、オレって割と単純だと思うけど…。」 「全然?あぁでも、ホントはずっとオレのこと暴こうとしてたんでしょ?」 「あれ、バレてた?うーん…。」 「わかるよ、水谷のことだもん。」 甘いことを言いながらも、嘲る笑みはついて回る。 それが何を思ってのことなのか、一つも理解しないでオレは苦笑した。 嬉しくないわけではないけれど、あまりにもそれが心無い言葉であることは、一目瞭然だから。 栄口は、オレのことが嫌い。 ホントはずっと知っていたのに、知らないふりをしてきた事実。 こうしている間は実感できる、あぁまた、そんなものに触れているから泣きそうになってしまう。 今は泣いている場合じゃないから、自分の腕を抓って耐えているけれど。 早く日誌書きなよ、待っててあげるから。 そういう声に促されて、オレは自分が日誌を抱えたままなことにようやく気付いた。 鞄から筆箱を出して、栄口に対面するように机に日誌を開いた。 栄口がじっと覗きこんでくる、その視線を時々見返したりしながら、ペンを走らせる。 机に両手で頬杖をついて、小首を傾げているそれだけで、可愛いのに。 適当なことを書き連ねて、顔をあげると、栄口はまだこっちを見ている。 けど、目の焦点が合っていない。 物思いに没頭しているの、はたまた眠いのか。 ぼんやりとした眼は、オレが別の行動を取り始めても追いかけてこない。 「―――さかえぐち?」 「…ん、あ?何?」 「眠いの?」 「うん、あんまり寝てないから。」 「…どして?」 ふと、嫌な予感がした。 ぼんやりとした表情のまま、彼は立ち上がって、左足のズボンの裾をまくしあげる。 腹にも見覚えのある、大量の赤い線。 それは腹のほど時間が経っているものではないようで、まだじくじくと光っていた。 釘づけになったオレのことを知ってか知らずか、彼はすぐに裾を下ろしてまた座ってしまう。 「…それ、どうしたの?」 「自分でやった、腹のはオレじゃないけど。」 「誰が、やったの、お腹の。」 いつもみたいに、秘密っていうんだろうか。 お願い、せめてそれだけは教えて。 懇願するように見つめていれば、彼がまだ眠たげな表情でいることにまじまじと気付いてしまって。 ふと、目があっても彼は笑わない。 「弟。」 勢いよく、血が昇る。 目の前が眩んでしまうほどの衝撃に、せり上がってくる猛烈な吐き気。 嘔吐感をこらえて視線を向ければ、彼はうつらとしているだけで。 なぜ? そんなふうにしていられる? 「―――なんでっ!?」 「…なに?」 「なんで、なんでそんなことになるんだよ…!!なんでだよ…!!」 「あぁ…水谷は知らないよね、当然だ。」 「…え?」 「オレはね、母さんなんだよ。」 言うなりと、彼は微笑んだ。 それはオレが知るなかで初めて見た、まったく疑心のない笑顔だった。 あまりにも無垢な、笑顔。 とてつもない非現実を含んだ単語が、急激に気化してしまうような。 甘い甘い言葉、理解出来なくて、呆然とする。 うつら、うつらとしている、今ならなんでも話してもらえるような、気がして。 「胸のとこの、赤い、のは…?誰がつけたの!?」 「…。」 「教えて…!!」 「…なんでも教えると思ったら、大間違いだよ。調子に乗らないで。」 ぐ、と細められる目。 眠気も消えたその顔には、あからさまな拒絶が浮かんでいて。 すぐ口を閉じる、沈黙が降って下りた。 そんな中で栄口はまたさっきまでのような嗤いを浮かべて、言う。 「ごめんね、怖がらせるつもりはなかったんだけど。」 「あ、や、ごめん、オレも、変なこと聞いて…。」 「ごめんね、水谷。」 何故彼はそんな風に、本当にか細い声で謝るんだろう。 あの冷たい笑顔を浮かべたままで、どうしてそんな風に。 部室をしめて帰り、分岐でさよならを告げて別れる瞬間まで、オレはずっと考えていた。 どうして、どうして、そんな言葉が駆け巡る。 間際になっても何も話さないオレのことをどう思ってか、栄口は笑う。 そして最後に一言、口を開く。 「ちょっと考えたらすぐわかるよ。」 「え?」 「あとは教えない、自分で考えなよ。」 「え…あぁ、うん。」 「じゃあね、ごめんね、水谷。」 母さん、意味深な言葉。 ごめんね、というあまりにも細い声。 腹の傷はすんなり話したのに、赤い点については激怒する理由。 足首の、自分でつけたと言い切る赤い傷痕。 どれにも合点がいかなくて、すでに頭はフル稼働。 自分の馬鹿さ加減に涙が出てくる。 泣きだしそうになる目をごしごしこすって歩いて、ただ思って。 栄口には、何か足りない。 かけている。 愛した人をそういう風にいうことこそ、かけているのかもしれない。 でもそうじゃないかと、思う。 明日聞いてみよう、本人に。 そうしてまた、さっきの問答を思い出して、悩む。 どうしても話してもらえないなら、考えるしかないことは明白で。 この調子だと、どうも母親のことに関しても…。 ――――ははおや。 唐突にたどりついた、あまりにも飛躍した仮定。 だけどその仮定がもし、もしあっていたら? もしそうだとしたら、母親だという意味深な言葉に、すんなりと納得がいってしまう。 弟のとんだ行動については、少し理解が及ばないが。 誰に。 誰なら知っている? それこそ、慎重に選んだほうがいいかもしれない、不謹慎だ。 携帯を開いて、電話帳を呼び出して、番号の前で思考を巡らせる。 篠岡なら…ダメだ、あんまり巻き込みたくない。 花井、こんなプライベート話すか? 田島?この件には論外。 巣山、クラスが同じでも深入りはしない。 ―――阿部。 すぐに呼び出して、コール。 2、3、4と呼び鈴がなり、ふつ、と切れたあと、不機嫌な声が続く。 『んだよクソレ、今家ついたとこなんだぞ!?』 「悪い阿部!!早急に聞きたいことがありまして!!」 『てめーに話すことなんざねぇよっ。』 「オレにはあんの!!お願い!!」 『…暇じゃねぇんだ、さっさと話せよ。』 「あべぇ…!」 不機嫌そうな声はしているが、ともかくは応対してもらえそうで安堵した。 「栄口の家って―――」 * ―――あぁ、そういやそうだな。 本人に直接聞いたわけじゃねーけど、教師とか騒いでたし。 家に帰りついても、まだその返答が頭から離れない。 ―――お母さん、いないの? 少し、後悔した。 やっぱり、不謹慎すぎる。 本人の口から聞くのが一番だったんだろうに、探究心から酷いことをしてしまっている。 謝らないと、いけない。 最低だ。 明日会ったら謝ろう。 携帯をぎゅ、と握って目を閉じた瞬間。 ぶぶぶ、ぶぶぶ。 無機質的になり始める、携帯のバイブレーション。 驚いて折りたたみ式のそれを開くと、メールが届いていて。 受信箱を開くと、一番上には、栄口の文字。 決定ボタンを押して、開くと、簡潔な言葉。 ―――今から会えない? たったそれだけの言葉が、ひどく心を揺さぶる。 ちょうど会いたいと思っていた、そんなときに。 会いたい、会いたい、会って話したい。 会えるよ、すぐ行く。 そう返したら、また少しもしないうちに返信。 ―――待ってる。早く会いたい。 わっと火がついて、オレは部屋を飛び出す。 親にはコンビニに行ってくると伝えて、停めておいた自転車に飛び乗った。 ただ走らせるだけじゃ1時間以上かかってしまう、全力で漕ぐ。 モモカンの厳しい練習がなかったら、こんな全力疾走(自転車だけど)30分以上も続けてられない。 交通量の多いところも人通りの多いところも、相当遅い時間になってしまった今は静かなもの。 頭を悩ませるでもなく、オレは疾走した。 早く、早く行かないと。 学校を過ぎ、ようやく家の付近に近づいたころ、栄口は昨日の岐路で立っていた。 少し肌寒くなってきた夜を感じさせない、それ以上に冷淡な顔で。 き、と自転車を置いて、飛び降りる。 音に反応してゆぅるりと振りかえる栄口は、やっぱり酷く無表情だった。 オレにだけ見せてくれる顔、優越感にひたるくらいでなくてどうするんだ、オレは。 「遅くにごめんね。」 「へーき、オレも、話したいことあったから。」 「そう、阿部に聞いたこととか?」 「!―――なんで…。」 「さっき阿部からメールが来てね、どうしたんだーとか、水谷が心配してるみたいだけどーとか。」 「阿部…。」 つまり、阿部に栄口の家庭について聞いたことは、おおよそ伝わっている状況。 口止めするようなことではなかったけど、栄口は…怒っているんだろうか? その眼は、どちらかというと自嘲を含んでいて、オレには何も、わからない。 「聞いたんでしょ?母さんのこと。」 「…うん、そうだよ。」 瞬間、く、と細められる目は、今までで見てきたどんな表情にも似つかなかった。 栄口の、怒るでもなく、嘲笑うでもない、哀しむでもないその目。 あぁ違う、知っている、この目は。 嫌悪だ。 「それでわかって、水谷は…。」 「―――待って。」 「…何?」 「ごめんね、栄口。」 「っ…え…?」 「ごめんね、こんな不謹慎なことして、阿部に聞いたりして。」 「なに、言って…。」 「ごめんね、ホントにごめんね、栄口が話してくれるの、ちゃんと待つべきだった。」 「な、なんで、なんで…?」 「ごめんね、栄口のこと、オレ、全然わかってあげられなくて…っ。」 オレはまた、栄口に嫌われてしまうのか。 そう思うだけで泣きだしてしまいそうで、というか、泣いてしまって。 ぼろぼろとおちてくる涙を拭いもせずに栄口に謝って、でも彼は何も言わず、硬直していた。 驚いたように身を竦めて、あらん限りに目を開いて。 瞬きも忘れたように、じっとオレを見ている。 泣いてるからだろうか? どうしてだろうか? 石になってしまったかのように、かちんと凍って、微動だにしなかった。 オレはようやく落ち着いて、動かなくなってしまった栄口にぴんとを合わせて。 目が合ったとき、びくんと跳ねる肩が、やけに鮮明に映った。 そうして、彼は口を開く。 「――――なんでだよっ!!」 「っ…。」 「なんでカワイソウって言わないんだよ!!」 「な、に…?」 「なんで!!なんで他の奴みたいに…!!」 「………。」 「不幸だって言わないんだよっ!!」 「…ぁ…。」 「不幸だって決めつけて!!同情につけこまないのっ!?」 他の人、確かにそう言うのかもしれない。 オレは普通じゃないし、そりゃ少しはそうだと思ったのかもしれないけど。 同情して、満足する。 そんな馬鹿みたいな感情は、今は必要ないと、ただそう思った。 非現実の中でそんなリアルな感情は必要ない。 オレはただ、自分のあまりにも不謹慎な行いで、栄口を傷つけたくなくて、そう、それだけ。 大きな感情を露わにして叫ぶ彼は、いつにもまして人間らしかった。 混乱して、泣いている。 定説をずれたすべてが、あぁそれはオレのせいなのか。 その一言で、オレは理解してしまった。 彼は、その悲しい境遇を知られ、甘い言葉に満足した連中しか、知らなかったんだろう。 かわいそうに、大変だね。 あまりにも安い言葉が、彼をこんなにも追い詰めてしまったんだろうか。 そう、安い。 かわいそうに、なんて、思いもしなかった。 ただオレは――――。 「栄口は、オレに何も話してくんないけど、さ。」 「………。」 「オレは、栄口のこと、ホントにホントに好きだから。」 「………。」 「同情心なんて、ない。そんなもの、ないよ。」 「…っじゃあ!!なんならあるんだよ!!」 「わけて、栄口。痛いんでしょ…?」 「っ!!」 「オレ、絶対否定しないし、栄口が望むこと、全部受け入れるよ。」 「何言って…!!」 「オレは、オレが、栄口を傷つけてしまったことに、後悔してるだけだから。」 「やめっ、やだ!!聞きたくない!!」 「オレは、栄口のあるがままを、ずっと大事にするよ。」 悲鳴のような、絶叫があがった。 NEXT 水谷は馬鹿ですが、同情されても辛いだけなことをよく知っています。 栄口は自虐行為に及んだだけです、彼は否定され、道を壊されることになれてしまっているから。 次回、栄口視点になります。 これからたぶん、交互になるかもしれません。 ようやく、瓦解したんだから。 |