逃げ出さないと決めたから。

現実を抱きしめると決めたから。

曇り空から晴れ間が覗くように、視界を埋める白い光。

届かないのなら、壁をブチ破るまで。
















眩暈もただのガタクタであれば 15 ― Go find a clear ―
















コンコン。

一斉に息を呑む部員を尻目に、花井が簡潔な返答を返した。
どうぞ、それだけの言葉に、異様な程気分が高鳴る。
扉の開く軽い音、そこに続く、見覚えのある顔。
栄口の、お姉さん。
つい昨日あったばかりのお姉さんは、昨日とはまったく違う表情でオレの前に立っていた。
晴れやかで、甘くて、そう、いつかの栄口のような底の見えない笑顔で。





「皆さんすみませんでした、勇人がお世話になって。」





この先の不安なんて何もない、そんな笑顔。
そりゃそうだ、栄口の行く末なんてこの人には、どうでもいいのかもしれない。
これからはお母さんがいてくれるんだから。





「退部届、頂けますよね?」

「その前に聞きたいんですけど、なんで退部なんスか?」





明るい表情と裏腹な冷たい言葉を遮るように、阿部が声を上げた。
それを話さないで帰れるなんて思っちゃいないはず、阿部の顔からはそれが見て取れる。
けれどお姉さんは、なんてことのない表情で言い切った。





「それをお話する必要はないと思うので、早く紙だけ頂けませんか?」

「…様子くらい、気になるのが普通じゃないんスか?」

「貴方がたの普通なんて、どうでもいいんです。早くしてください。」





明るかったお姉さんの顔が段々と、冷たく変わっていく。
言葉が飛び出せば飛び出すほど、部室の温度も下がっていくように。
阿部とお姉さんの睨み合いが続く、紙は花井が持ってて、それが渡ってしまえばアウトだ。

お姉さんを説得出来ないか。
それがオレ達の出した答え。
話だけなら、お姉さんが一番懐柔しやすい、阿部はそう言っていた。
その上取りに来るのはお姉さん、そうなるなら、絶対ここで説得しないといけない。
オレもそう思った、昨日顔を見てる分、怖さも薄れているし。
けど、あの阿部が手こずっている。
理論で言うことを聞く相手じゃないってのが、ひしひしと伝わってくるようだ。

阿部とお姉さんが討論している最中、オレはずっとどうして、を繰り返していた。

お姉さんにとって、栄口は大事な存在じゃないんだろうか。
お母さんさえいてくれれば、それでいいんだろうか。
栄口がいなくなって、その代わりにお母さんが帰ってくる。
それは、歪な形とは言わないんだろうか。
栄口自身がいなくなることを、悲しいとは思わないんだろうか。
お母さんを失ったときのように、痛いと、苦しいと思わないんだろうか。

オレだったら、絶対考えられない。
もしオレの母さんが死んだとしたら、きっと母さんはそんなこと望まない。
家族なら、誰が欠けたって悲しいのは当然だ。
けれどその痛みを、別の誰かになすりつけて、ただ一人安寧を求めようなんて、間違っている―――。





「お姉さんにとって、栄口はお母さんの代わりでしか、ないんですか?」





お姉さんの冷たい声、阿部の強い口調。
全部が痛くて、オレは泣いていた。
情けない姿だなぁって、自分で思いながら、けれど言葉を震わせたら、本当に格好悪いから。
はっきり、お姉さんに言う。





「お母さんの代わりがあれば、栄口はいらないんですか?」





オレのぐしゃぐしゃな顔を見ても、お姉さんは表情一つ変えない。
言葉なんて届いてもいないかのよう。
本当に、この人たちはもう手遅れなくらい壊れてしまっているんだろうか?
そんなこと認めたくない、まだ大丈夫だって、思いたい。
だからあらん限り、オレは言葉にする。





「栄口がいなくなったら、お家は平和になるんですか?」

「…そんなこと、関係ないでしょう?」

「関係ないん、ですか?栄口がいなくなって、代わりのようにお母さんが出来て、それって幸せなんですか?」

「………勇人はいなくならないわ、約束してくれたもの。」

「なります。それを望んだのは、他でもないお姉さんたちじゃないですか。」

「そんなこと言ってないわ!!どうして私達から勇人を奪うようなことをいうの!!」




















「それは栄口が、本当に家族みんなを大事に思ってるから。」
























言い切った。
ずっと言ってやりたかった言葉。
オレを天秤にかけたりしないでほしい。
栄口にとって、お姉さんや弟さん、お父さんがどれ程大事なものか。
オレを助けようとしたっていうことももちろんある。
けど、栄口が探していたのは、みんなが幸せになれる道のはずだから。
だから、どうかその道から栄口だけを外すようなことをしないで。

栄口一人の犠牲の上に成り立った幸せなんて、受け入れられるわけがない―――!

自分でも思った以上に強い口調だったせいか、さすがにお姉さんの言葉は止まった。
それどころか、一切動こうとしなかった冷たい視線が、丸まっている。
お姉さんからしたら意味がわからないようなことを口走ったのかも。
もっと時間をかけてでもいい、ゆっくりでも、伝われば。





「貴方にそんなこと、言われたくない…!勇人を取っていこうとした癖に…!」

「そんなこと、するわけない。栄口は誰のものでもないんだ。」

「勇人は私たちのものよ、誰にも渡さないんだから…誰にも…。」

「お姉さんが言ってるのは、栄口勇人のこと?それとも、お母さんのふりをしてくれる人のこと?」

「勇人は勇人よ!!馬鹿なこと言わないでよ…!!」

「その『勇人』は、今あなたたちのために消えてなくなろうとしてるんです。」

「…何言ってるの?勇人はいなくならないわ。」





勝ち誇ったような声でいう、けれど今の問答で分かったこともある。
お姉さんは、栄口を母親の代わりとは見ていないのかもしれない。
単純に、歯車として栄口を求めているんなら、まだ救える。
お母さんはもういないのだと、認識してくれるはず。





「栄口はオレに言ってました、家族のためにお母さんになる。栄口勇人はいなくなるって。」

「…そんな、そんなことないわ。母さんはもういない、勇人がいないと…勇人がいないと…。」





「お姉さんにとって、勇人くんは、なんですか?」









追い討ちをかけるように、オレは言う。
涙は相変わらず止まらない、みんなも何も言わないけど。
確かにお姉さんは、狼狽していた。
勇人がいなくなる、それがお姉さんにとってどれ程重いことだったのか。
栄口が背負ってきたものを全部負わないといけないかもしれない、そんな恐怖からかもしれないけど。
それでも、いい、ひとまずは。

反応がなくなってしばらくの後、お姉さんは小さい声で言った。










勇人は、私の弟。
母さんの代わりなんか、私は求めていない。






「勇人がおかしくなったのは…そのせいなの…?」

「そう、だと思います。お母さんにならないといけないって、栄口は言ってました。」

「私…勇人は、大丈夫だって思い込んで…。」

「お姉さん…今ならまだ、間に合います。」

「!」

「まだ栄口は取り戻せる、まだ、元に戻れます。」

「戻れるの…かなぁ…。」





勇人は許してくれないかも、そう言ってお姉さんは俯いた。
そんなわけ、ない、栄口が許さないなんてあるもんか。
あんなに家族を大事に思ってて、そのために消えようとしてる人間が。





「許さないわけ、ないじゃないですか…!!」

「っ…。」

「栄口は、本当に家族を大事に思ってるのに…!」





弾かれたように顔を上げたお姉さんの顔は、涙に濡れていた。
栄口によく似た顔が、辛そうにボロボロ。
オレは思わず駆け寄って、そして強く、こう言い切った。










「オレが栄口を、絶対助けます…!!だから、会わせてください、もう時間がないんです!!」b














項垂れた顔が小さく、頷いた。















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長らく、本当に長らくお待たせしました。