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生まれてしまった罪、生き伸びてしまう恐怖。 それは一瞬の空白で、永遠に繋がるのは。 許しを乞うた鯨を、どうかどうか海へと返してあげてください。 送り火に頼る空への道ではなく。 涙のつづる、約束の海を。 鯨の見た夢 Last Spell U ― Born To Be free ― 「田島がなんと言おうと、オレはお前を許さない!!」 泉の痛烈な叫びはオレの鼓膜を射ち、言葉の重みを、胸の奥へ沈ませていく。 体の芯が冷えていく言葉に、ただ茫然と、泉の一挙動を追うことしか――――。 悲鳴が続く、いっそ耳障りなほどの、階下の声。 無関係な人間が田島を取り囲んでいる。 早く早く行かなければまた。 また喪って――――。 思考さえもままならない状態で、体が動くはずもない。 何をすることも出来ず、ただ気だけが空回る。 オレが微動だにしないことを訝しんだか、はたまたさらに怒らせたのか。 泉が再度目をきつくし、口を開こうとした、その時だった。 「おい!!まだ生きてる!!誰か早く!!まだ生きてるぞ!!」 「「!!」」 はっ、としたのはお互い同じらしい。 あれが誰の声かはわからない、だけど。 まだ、まだ失われていない―――!! そう思った瞬間、だけど泉がまったく動き出さないことに、オレは驚いた。 それはあの時、田島を見送ることですべて諦めたから、そんな立ち姿で。 後悔と、積まれていく罪悪感と、だけど顔向けすることも許されない。 子供の顔。 その一瞬の迷いで、泉が、オレが、大事なものを失う。 そんなのはもう、嫌だった。 田島が視界から消え、悲鳴が上がった直後の、言い知れない衝撃はまだ鮮明。 二度と忘れることのない、強烈な痛み。 何度となく大事なものを忘れて、失って、そうしてまた繰り返すことはもう。 もう、嫌だ。 逡巡する暇なんて必要ない、一刻の流れさえも惜しいなら。 「ぼーっとしてんな泉!!田島は生きてるんだぞ!?」 「!―――な、こと…オレは!!アイツを止める権利なんて…!!」 吠えるように声を上げれば、俯きかけていた泉が顔を跳ね上げる。 ―――即死するだろう、そう思っていたような眼だ。 この高さを選んだのは、助かりようがないから。 田島は確実に死ぬために、その死をオレに伝えるためにここにきた。 泉はそれを止めることも、止めようとすらしなかったんだ。 今更、とか、考えているのかもしれない。 「お、れには…!田島を助ける、なん、てっ…!!」 震える声。 喪う決意を固めて、哀しみを封じ込めた。 吐き出せてしまえば今、こんなも迷うことはなかったはずだ。 だけど、オレは。 ぱしん、軽い音が悲鳴に交る。 白い頬を張り飛ばし、オレは叫んだ。 「オレにこんなこと言う権利はねぇ!!だけど…!!お前はホントに、田島を亡くしてもいいのかよ!?」 もう何度、失い、喪い、慟哭の果てを暮れさせただろうか。 何度も落ちる日。 何度も失う鯨。 何度何度、慟哭すれば目が覚めるのか? もう、もう。 そんなことはまっぴらごめんだ―――! 気持ちを偽り、倫理を尊重しようとして、間違った道を選び続けた。 馬鹿な行いだったと思う、だけど認められなくて。 アイツといることに迷いのない泉が、羨ましかった。 だけど誰かが囁くから。 その気持ちは間違いだ、正せ、正せ、と。 そうして自分に嘘をついて、虚像を与えるために別の誰かを追って。 よりそれらしく見せるために、嫌いだ嫌いだと口にして。 重たい罪だと、理解している。 正直になることも出来ず、ただ倫理感だけを追い求めて。 だけど今なら、ちゃんとわかる気がする。 今なら、見えるものがある。 力の限り吠える。 喪いたくない、その一心を。 「オレは!!田島を失いたくない!!お前は違うのかよ!?」 「…っ…!」 「間違えた道を、出来うる限りで直したいんだ…!!」 「…お、オレは…!!」 「泉…!!」 「田島に、生きてて、ほしかった…!!」 だけど止められないと、鋼の意思を溶かすことが出来ないと、思っていたから。 強固に揺れ続けていた瞳が、涙の軌跡を描いてようやく定まる。 それが真実なら、なお、急がなくては。 涙を拭った泉の眼は、いつもよりもより、意思強いものを感じた。 未来は恐れるものではない、そう信じたい。 階段を駆け降りたオレ達は、その時出来る限りの全てを尽くした。 外傷はないが、吐血の後が見える。 だけど、確かに意識はあった。 痛みのためか、焦点の定まらない瞳。 何度も二人で声を掛け、頼む頼む、死なないでくれと繰り返した。 オレを認識したんだろうか、細まっていた目が少しだけ見開かれる。 聞こえているのか? 手を握って、ごめんと繰り返す。 唇が震えるが、言葉を発しようとするのを、泉が止めた。 外傷で出来ることはやった、止血くらいしか出来なくても。 それから5分としないうちに、救急隊は来た。 担ぎ込まれた時の状態は酷いものだったが、諦めることだけはしたくない。 血は止まらない、口元から、あちこちから流れだす鮮血は確実に田島の命を蝕んでいる。 ―――こんなとこで、くたばるな…!! 同行することを許されたオレ達は、救急隊の邪魔にならないように、ひたすら田島の名を呼んだ。 肩腕に触れていることも許されて、泉と二人で、ずっと握りしめていた。 田島はただ、苦しげな息を繰り返している。 意識はまだあるんだ、辛そうに歪む顔を見ていられないほど。 こんなことになる前に、自分から目を背けなければ…!! 難しい言葉は一つも理解できないが、危険な状態であることは、言葉にしなくてもわかる。 時間にしては対して流れていないはずなのに、何時間も経って行くようで。 ようやく病院が見えたときの、少し緩んだ自分の心。 予断は許されない、これからが本番なのだ。 病院に降り立ったとき、そこにはオレの知る顔触れがほとんど揃っていた。 田島と泉は勝手に病院を抜け出したんだろう、となるとここは大騒ぎだったはずだ。 話なら後でする、今は田島の傍に居させてほしい―――。 病院の中をかけ、田島の体が集中治療室に運びこまれるまで、寄り添い続けた。 その体が、消えてしまう前に。 「話したいことたくさんあんだよ!!田島ぁっ!!死なないでくれ!!」 薄らと、その手が動いたように見えた。 扉が閉まり、世界は隔たる。 薄明かりの灯る廊下に、気を急く赤いランプが点灯して。 ここから、オレ達に出来ることは何もない、戯言を零すあらぬ神にも願いをかけることしか。 どうかどうか、夢の終わりをと、願うしか。 呆れるほど積み重ねてきた後悔を、終わりにしたい。 いつの間にか追いついていた知り合い達も、今は治療室の前で時間の流れを待っている。 扉一枚向こうでは、慌ただしく処置が行われているはずなのに。 溢れだした血はちゃんと、補われたんだろうか。 痛めた体はちゃんと、動くようになるんだろうか。 壁にもたれて、今にも叫びだしてしまいそうになる。 彼女がいなくなって、積み重ねてきた間違いをようやく知った。 それとともに、ずっとずっと田島にしてきた酷いことを、ようやく直視することが出来るようになった。 否定するために傷つけて、それでもここにいてくれたのに。 許されることではないと知っていて、拒絶されることが怖くて、見舞にすら行けなかった。 すべての原因であるはずなのに、警察の目が伸びることもなく、安穏と過ごしていた日々。 疑問も抱かず、ただ彼女を喪った痛みばかりを許容して。 だけど彼女の葬式に出て、亡骸を見て。 ―――それが現実逃避であることを、改めて思い知った。 花井くんが見てるのは、私じゃないでしょ? その通りだ。 彼女は死んでもなお、オレの目を正しい方向に示すことにいっぱいいっぱいで。 本当に、オレは最低の男だと思う。 ようやく気付いたのに、今度は恐れて、弱腰で。 今日、泉が来たとき。 田島を目の前にしたら、伝えられない何かを、口に出来そうな気がしていた。 なのに結果は結局、話一つ伝えることが出来ず、伸ばされていた手を掴むこともできなくて。 オレは何度、過ちなるものを繰り返せば気が済む? 自分勝手な道を選んで、結局最後には何も残らない。 それは全部人のせいだと、自分は悪くないんだと言い張るように。 終わりにしたい。 そしたら今度は、田島の生に感謝するんだ。 うまれてきて、ごめん、なんて言うから。 あの才能を否定されることは、少し考えればわかりそうなものだ。 年功序列を無視する配列に、迫害されてきたこともあっただろうに。 オレは、そいつらと同じことをしてきたんだ。 恨まれても仕方ない、だけど田島は絶対、恨んだりしない。 田島は、願えばよかっただけなんだ。 強がらず、意地を張らず。 愛してほしい、って。 それだけの素養があったのに。 田島が意地を張るから、オレが理解出来ないから。 こんなことになってしまって。 未来は恐れない、田島は絶対、裏切らない。 3年間そうであったように、田島はオレを、オレ達を裏切らない。 これからも、ずっと。 「―――泉、どうして田島を連れ出したりしたの。」 それぞれがそれぞれ、願掛けにふけっている。 そう思っていたとき、唐突に静寂は終わりを告げた。 詰問するような重い口調で始めるのは、栄口だった。 オレの隣で壁にもたれていた泉はゆっくりと顔をあげ、焦点を栄口に結ぶ。 つり気味の眼がさらに細く釣りあげられていて、心配の色もありながら、そこには少しの怒気もうかがえる。 栄口は確かに、田島の見舞によく行っていると聞いている。 こんな状態の田島を連れ出せばこうなることくらい、泉にならばわかっていたはずだと、言いたいのか。 「どうして飛び降りなんてさせたの。」 「………。」 「田島じゃなくても、あんな状態なら死にたくだってなるだろ。」 「…っ…。」 「どうして止めなかったんだよ。」 あんな、状態? 栄口の言葉に、数人がばらばらと顔を上げる。 オレもそうだ、あんな状態?とはどういうことだ。 目のことを言っているんだとしても、目の上に傷が出来ただけだと…。 にしては、物々しい包帯だったといえば、そうだ。 あんな状態、という言葉に泉が勢いよく壁から背を離す。 が、すぐに口を開いて、 「もう隠してる意味はねーわな…ちゃんと話す。」 一つの深いため息のあと、泉は普段よりもずっと気落ちした低い声でこう、告げた。 「田島の右目はもう、二度と見えるようにならねぇ。」 「な…。」 「ずっと前から、何かが原因で視神経を痛めてたらしい。」 「…!」 「今回、花瓶が直撃したことで、完全に右目の神経を痛めた。」 それ、は。 「手の施しようがないんだと、田島はもう野球…出来ねんだよ…。」 ――――オレが、やったこと。 覆せない事実に、目を見開いたまま静寂する。 誰も何も言えないまま、泉や、栄口の言葉を待っていて。 「野球も出来ない、花井のこともあって、田島は限界だった。」 「だけど…!泉なら止められたはずじゃ…!!」 「オレに止める権利があるかよ!!死んでほしくなくても!! …一番好きなこと、出来なくなるんだぞ…オレだって死にたくなる…!!」 田島らしかぬ、冷たい考えだと思うだろう。 だけどそうしてしまったことは、オレのせいだ。 オレと田島の暗い関係のことを知らない部員はいない、泉の口からオレの名前が出たことで、それは鮮明になるだろう。 オレの、せい。 前から弱っていた理由こそわからないが、それもやっぱりオレが悪いのかもしれない。 突き飛ばしたり、乱暴なことをするのは今に始まったことではないのだ。 何が原因かなんて、いくらでも理由付けが出来る。 「…田島は確かに、落ちた。でも今は頑張ってる、一度捨てた命、もっかい繋げようとしてんだ…っ。」 「泉…。」 「止めてればよかった!!ちゃんと…!!オレ…すごい後悔してんだよ…!!」 吐き捨てるように叫んだ泉は、目元に手を当てて上を向く。 栄口がそんなことを言い出したということは、その眼のことを知っていたんだろう。 阿部も同じ顔で俯いているから、アイツも知っていたのかもしれない。 口を噤んで俯く栄口に、阿部に、泉に、なんて声をかけていいのかわからない。 誰も止められなかった。 震える喉が何を言い出そうとしているのか、後悔に塗れているのは、オレも泉も一緒。 あの時こうしていれば、あの時止めていれば、あの時、あの時。 そうして後悔しても、気付いた時には遅いんだ。 後戻り出来る旗を見送って、それが最後の旗だと知ることすら出来ない。 戻れるもんなら戻って、その時々のオレを、一発一発ぶん殴ってやりたい。 正しい道を選べない、気付くのが遅い、それだけで、致命傷。 優柔不断なオレがいなければ――――。 「―――田島、まだ生きてるよ、死んでないよ。」 「…みず、たに…?」 「後悔とか、あとにしようよ。田島、頑張ってるんでしょ? 後悔を曝すのはあとだよ、今は田島頑張れって言わないと…そうじゃない?」 暗い顔をした栄口の肩を抱いて、水谷は言う。 表情には陰りの一つもない、この場面でそう言える水谷はただ空気が読めていないのか。 それとも、深い考えがあってか。 馬鹿な奴、そう思っていたけど、撤回したほうがいいのかもしれない。 あえて、それだけのことが言えるのは水谷だけだろう。 オレには出来ない、それはある種の達観にも似た―――強さ。 オレや泉にはない、諦めることで喪い続ける悲しみの形ではない。 羨ましいな、それだけのことが考えられるのは。 それだけのことが出来るのは。 諦めていたわけではない、だけど確かに、気弱になっていた。 自分のことは後回しに、今は田島を信じて祈ること。 今出来る、精一杯。 水谷の言葉に全員が頷いて、閉まる扉の向こうに祈る。 例え、二度と野球ができなくても。 生まれてきたことは、間違いじゃないと教えてやるんだ。 野球を奪われても、田島は、生きてていいんだ。 だから。 悪い夢なら、醒めてくれ―――。 * 白、黒、灰色、透明、無音。 色と音の固定概念を失う世界に、オレはいた。 ただそこが海であること、それと同時に空であることだけ、何故か理解している。 足元には海、手をのばせば空。 そこがサイハテの地であることは、ここにきてしばらくして気付いた。 あれだけ体中が痛かったのに、今は少しも痛くない。 見えていないはずの右目も、無色無音の世界を的確にとらえている。 おかしいな。 どうしてだろう? 古い映画のような世界。 だけど音はない。 ネガがくるくると入れ替わるように、そこに映し出されているのは海と空と。 オレの記憶。 ここ3年間に集中しているであろう、短い思い出。 春、入学し、みんなに出会って。 夏、初めて負けるということを知った。 秋、西浦を全国に知らしめる善戦。 冬、こじれる仲を隠して、みんなで―――。 忘れていたものだけをより合わせて作る、いびつな形。 そこにオレの姿はない、オレは見ている側で、そこには映らない。 冷たさを感じない海に足を浸して。 一年の頃はまだみんな、ちゃんと笑っていたよな。 オレと花井とのことも深刻じゃなくて、笑ってすませる範囲だと思っていて。 ずっと、投げだしてしまいそうな重圧に耐えてきた。 だけど空虚だったと思う。 みんなとする野球は楽しかった、だけど、オレはホントにそれを楽しめていたんだろうか? きっと、楽しめてなかった。 怖かった。 4に居座ることを否定され、またいつか追われる、奪われる、そう思っていたから。 みんなはそんなことしない、わかっていたはずなのに、どうしても。 ―――それでも、楽しかったって、言いたかった。 野球は好きだ、みんなとする野球は悲しくても、楽しかったって。 花井も泉も好きだった。 だけどみんなのことも信じたかった。 三橋も阿部も栄口も水谷も沖も巣山も西広も。 みんなとの野球、もっと楽しみたかった。 せめて最後の一年くらい、って思ってて。 記憶のネガは終わりを告げ、この世界で動くものは何もなくなる。 あぁ。 落ちてからここに来るのは、初めてかもしれない。 死を選んだオレを、鯨は引き留めない。 夢はまだ続くからと、落ちたオレはまた悪夢を見る。 次は頑張ってね、鯨はそう言って、サイハテへ消えていく。 次なんてなければいいのに、何度も思った。 こんな気持ちでここに立っているのは、初めてだ。 ―――帰りたい。 帰りたい、帰りたい。 意識がここに来る前に、みんなの姿が見えた。 花井が、話したいことがあるって。 泉が、止めればよかったって、言ってる。 死にたいと思ったのはオレなのに、みんながオレに、帰って来てって、言ってる。 初めてだ。 オレはいつも、落ちたら一瞬で次にループする。 巡りに合わせて、何度も。 なのに、ここにいる。 サイハテの地。 鯨の望む空と、陸。 最後の砦。 帰りたいと思ったことすら、たぶん初めてだ。 生への名残りはなく、伸ばした腕は死を掴む。 そうしてきたはずだ。 あそこには何も残されてなかった、優しい記憶も、愛した事実も。 逃げ出しても逃げ出せないループ・ループ。 あそこにいてはいけない。 奪われるだけ、失うだけ、悲しいだけ。 遠く聞こえる、大事な人の声。 死なないで、死なないで。 そんな言葉、初めて聞いた。 いなくなる前に、期待の芽は全部、潰してきたから。 帰って来て。 ――――帰りたい。 (はじめてだな、そんなふうにかんがえんの。) ダイレクトに響く声に、オレは顔を上げる。 同じ顔、同じ背丈、ここで迷う、同じもの。 迷い子になる鯨、オレもここの一人になるはずだったのに。 オレの言葉に、頷いた。 帰りたい。 (ようやく夢は醒める。) 微笑んだ彼の輪郭はぼやけ、形が変わる。 迷い子の鯨。 (失い続けた夢は終わる。初めての道。) 「…。」 (僕の望み、キミの望み。終わる夢、始まる世界。 あの世界に帰って、キミは本当に幸せになれる? あれだけたくさんの命を使って、何度も優しい記憶に裏切られてきた。 何度も何度も繰り返して、だけど結局キミは落ちたよ。 そこに辿りつくまでに変えられることがあったはずなのに。 そんな世界をキミは愛している? 世界はキミを裏切り続けているのに。) 幼子が告げる言葉、そんなことわかってる。 帰りたいと思ったこと自体が初めてで、この先がどうなっていくかなんて想像できない。 だけど、だけど。 未来は怖くない。 「オレを待っててくれる人がいるんだ。」 (彼はキミから、すべてを奪う。) 「知ってる、安い恋だったから。逃げてばっかりで。」 (キミには過去のしがらみを忘れるだけの強さは、ない。 キミの心は永遠に陰るし、ボクの望みは終わらない。) 「―――わかってる、オレの心は永遠に落ち込んで、きっと復活なんてしない。」 (それでも、ボクの絶望した世界に戻るって言うんだね?) 「―――それでも、帰るよ。 例えオレの心が暗く沈んでしまっても。 今、待ってくれてる人がいる。それだけだ。」 静かな空間に内水を打ったかのような、静かな声で。 どれだけ悲しもうとも、きっともう大丈夫。 終わりにする。 オレの帰りを待ってくれている人がいるから。 (ボクのキセキは大したものじゃないんだよ。 巡り続けることこそが、真実だと思っているから。 ボクはキミに一つだけキセキを上げる。 でも、キミをあそこに帰すためのキセキは起こせない。 キミのものを一つ、もらうことになるよ。 すぐには現れないと思う。 もしかしたら再生するかもしれない。 だけど、) 「構わねぇよ、オレ、帰れるんならそれでいい。」 (わかった、ボクはこれからもキミと夢を越えていく。 海が恋しくなっても、飛びこんだりしちゃダメだよ。 これは一回キリだからね?) 鯨の言葉に、オレは大きく頷いた。 大丈夫、たとえ夢が終わらなくても、それが悪夢でも。 変えていく、それだけの気持ちを、手に入れたから。 空と海に波紋が広がる、静かに、静かに。 ―――サヨナラ、ボクの友達。 さよなら、オレの友達。 急速に落ちていく意識、何かがごっそりと抜けていく、奇妙な空白。 それをすべて抱えながら、遠のく意識に、身を任せた。 途切れる一瞬、手を伸ばす。 空でもなく、海でもなく。 触れた先は、温かな――――。 キミの生はキミの自由。 生まれてきたことを誇るだけの愛を、今度こそ手に入れられますように。 * 赤いランプがふ、と消え、オレ達ははっとして顔を上げた。 医者が出てきたら、容態の説明があるんだろう。 壁によりかかっていた背を離して、扉のほうに向きなおる。 期待していたとおりすぐに扉は開かれ、汗をだくだくにかいた医者が二人、中から出てきた。 その頃には田島の家族も揃っていて、その場にいた全員が、医者二人を取り囲んだ。 叫び出しそうになる気持ちを抑えて、顔色を覗く。 医者の表情は、―――明るかった。 「奇跡、とも言えます…あれだけの状態で…彼はよく頑張ってくれました。」 「じゃ、じゃあ田島は…!!」 「まだ油断はできませんが…一命を取り留めましたよ…!」 あぁ―――!! その場にいた全員の声が、田島に届いただろうか。 ほら、田島はやってくれた、アイツは絶対にオレ達を裏切らない。 嬉しさのあまりこぼれ出す涙を拭って、二人の医者に頭を下げた。 救ってくれて、ありがとう。 その場にいた面々が揃って頭をさげて、顔を上げた時、不謹慎にも笑い合った。 野球は出来ないかも知れない、田島がオレ達を同じ舞台に立つことは出来ないかも知れない。 それでも嬉しかった、生き伸びてくれたことが。 心の底から、ありがとうと叫びたいくらいに。 集中治療室から運び出された田島は、あちこち包帯だらけだった。 寝顔は安らかで、痛みは感じられない。 もともと田島がいたらしい病室に移されて、みんなが慌ただしくし始める中。 オレ達野球部の面々は、田島の傍にいることを許された。 術後にもかかわらず、田島の容態は快方一直線らしい。 医学的には限りなくありえないことらしいが、だって田島だし、なんて言葉で片付いてしまいそうで。 触れていいものか、それは迷って、やめた。 しばらく数人が安堵感からかむせび泣いたが、泣いてばかりはいられないと、目を拭った。 オレと泉はここに残るようにし、あとの面々は、監督たちへの報告に部屋を出た。 残されたオレ達は、田島の横たわるベッドの左右にそれぞれ座り込んで、その寝顔を見つめていた。 白く照らされた頬はまだ血色が悪い、つい、確認したくなって、口元に手を当てた。 ―――ひっそりとした空気の動きを感じて、ちゃんと生きていることを実感して。 オレが手をおさめると、今度は泉が同じことを始めた。 どうしても不安になってしまう、また手のうちをすり抜けていってしまうんじゃないかと、思って。 「…花井、ちゃんと気付いたんだな…。」 「…なにが?」 「田島のこと。オレは知ってたんだぜ、花井が田島のこと嫌いっていう理由。」 「そ、うなのか…?」 「だからオレ、花井のこと嫌いだった。田島のこと助けてやれる唯一の人間なのに、気づきもしないでさ。」 「…それは、うん、…。」 「田島が起きたら、さ。いがみ合ってたこと、ナシにしねぇ…?」 「賛成、譲る気はねーけどさ、オレ達どっちが欠けてもよくないんだろ?」 「…おめーはちゃんと田島に謝ってからだからな。」 「わーってるよ。」 笑った。 その日、いや、ここ最近では間違いなく、初めて。 まだまだ予断は許されないはずなのに、それでも、先が明るいような気がして。 田島のことをちゃんと、視界にとらえられている、なんだかそれだけで幸せだった。 不謹慎だとは思う、だけど幸せだった。 そうして、二人して田島に視線を向けた時だった。 ―――薄い瞼が震え、指が震え、伸ばされる。 力が入らないはずの腕が伸ばされて、驚いて、慌ててその手を取った。 オレの手に重なるようにして、泉の手が触れる。 息を飲むに合わせて、瞼がゆっくりと上がった。 焦点を結ばない視線、だけど、しばらくさまよったあと、すぐにオレと泉を視界にとらえる。 「いずみ…はない…?」 「田島…っ…おまえ、まだしゃべんな…!」 「や、今じゃないと…ダメ、だから…!」 静止しようと声を上げたが、遮られる。 今日もちゃんと聞いていたはずなのに、どうしてか懐かしくて、胸が痛い。 謝らないと、今でないとダメなら、今ちゃんと。 「ふたりとも、ごめん、な、そんで、ありがと、な…っ。」 詰まる言葉。 いくらなんでも、奇跡が続きすぎだ。 この先が怖い。 また喪うはめになるんじゃないかと、怖がってしまっている。 そんなのはイヤだ、性急すぎる。 田島の震える声に浮かびそうになる涙を噛み締めて、ただ耳を向ける。 一言一句聞き洩らさないために、一言も、失わないように。 「死なないでくれって、オレ、帰ってきたいって思ったの、初めてだったから、さ…。」 「田島、ごめん、ごめんな、止めらんなくて、オレ…!」 「いずみは悪くねーって…な…?はないも…オレ…勝手ばっか、で…。」 「馬鹿言うな…オレんが勝手だったよ…!!いっつもいっつもひでぇことして…!!」 「はない…?」 「死ねなんて言ってごめんな…田島…!嘘ついてばっかで、ひでぇやつで…!!」 「はない…は、わるくなんか…。」 「悪いよ、オレ、田島、オレずっとお前のこと好きだったんだぞ…!」 「う、そ…だ…!」 細められていた目が、ゆっくり見開かれてちょっとだけ首を揺らす。 ホントは頭を振って否定したいんだろうか、でもオレも譲れない。 嘘なんかついてない、ずっとついてたけど、今はついてないんだ、知ってほしくて、必死に言葉にする。 言葉にしないと伝わらないことは、もう学んだはずだから。 「嘘じゃねーよ、ホントに、お前が元気なったら泉と二人でさ、ずっとお前のこと大切にすっから…!!」 「いずみ…うそ…うそだよ…!」 今までそうであったから、オレの言葉をすぐに呑みこめない気持ちはわかる。 視線が助けを求めるように泉に向いて、でも泉は、オレが見たこともないような綺麗な顔で笑った。 「嘘じゃねーよ、花井嘘ついてない、ホントだよ…。」 「ほん、とに…?」 「ほんと、オレのこと信じらんない…?」 「うう、ん…おれ、はないのことも、しんじていいの…?」 「信じてくれ、田島…好きだよ…っ。」 迷いに迷っていた瞳が、不意に緩む。 ぼろぼろと流れだす涙が、田島が生きていることを実感させてくれているようで。 まだまだ謝り足りないけど、でも、今一番伝えなきゃいけないことは一つだ。 「田島…生まれてきてくれて、ありがとう…な…。」 オレの言葉に、泉が頷いて。 見開かれた田島の目が数秒後、笑みの形に丸まって。 「――――だいすき、いずみもはないも、だいすき…。」 こんなに綺麗な笑顔をオレは、この先きっと見つけることはないだろう。 その笑顔のまま再び意識を落とした田島の手を、傷つけないように包み込む。 ありがとう、ともう一度繰り返して。 夢はもうじき、醒めるだろう。 NEXT PAGE |