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それは清々しいほど晴れ渡る。夏の日のことでした。 一筋の送り火が立ち上るにはあまりにも切なく、澄み渡る空の下でのことでした。 快晴の下広がる景色は、あまりにも狭く、だけどとても広いものでした。 光の白に彩られ、眩しさのあまり灰色に染まる世界。 色彩を亡くし、そうでありながら、絶対的な存在感で広がっていく。 それはこの世のどんな世界よりも美しく、そして、とても悲しい世界でした。 前を行く小さい体は、迷いなくひたすら進んでいく。 差し掛かった階段の段差など、ものともせずに。 そこは今まで何度となく足を伸ばした場所。 今更視界が霞む位では問題がないほどに、足取りはしっかりしていた。 それどころか、驚くほど軽快だった。 肋骨の骨折、極端に狭い視界。 はためく包帯。 結び方が緩かったんだろう、直してやりたかったけど、いいから、と言われた。 歩くたびにひらひらと揺れる白。 黒い髪の隙間を縫うように、ただ静かに、ひらひらと。 多少走ったし、包帯がずれる程度に結構体力を使ったはずだろうに。 無言で進む。 半端な長さの階段を上り終えると、鋼鉄の重い扉に手をかける。 それは制止して、変わりに扉を開いた。 普通ならば、難なく開けられる程度の重さでも、今はきつい。 きぃ、と錆び付いた音を立てて、鋼鉄製の扉は開いた。 暗い廊下を歩いていたので、強烈に差し込む日差しに一瞬目が眩んだ。 同時に、ふ、と風が吹き込んできた。 白いコンクリートの床が、うっすらと光を反射している。 ぼんやりとした視界。 眩しさに目を細めて、それから床に足を下ろす。 段差があるから先に下りて、それから手を差し出した。 握り返される手は、温かい。 「いずみ、手ぇ冷えてんな。」 そう言って、田島は微笑んだ。 そうに決まってる、心が落ち着かないから。 肋の骨は相当酷く、完治には程遠い。 視力は完全に奪われ、その右目は二度と光を映さない。 そんな重病人をここまで―――学校まで連れてきているんだ。 張り詰めないわけがない。 今はまだ授業再開をしていない学校。 他校は夏休みに入る、たぶん西浦は、夏休み中に授業時間を裂くことになるだろう。 一応自由登校になっているが、部活は禁止。 ただし補習のような形で単位不足を補ったりするのに当てられているから、生徒は割と登校していた。 家に閉じこもっていても仕方がないので、学校で適当に暇を潰しているんだろう。 無作為な時間が、苛立ちを呼ぶ。 何も知らないで、何を暢気に。 軽い体が段差を越えて、床に降り立つ。 ――――ここは屋上だった。 照りつける太陽の熱は強烈で、今はすごく不快だ。 寒気がするほど、気分が悪い。 でも。 田島は平然とした顔で、屋上から見える景色を、ぼんやりと眺めていた。 かし、かし、と揺れるフェンスに指をかけ、その向こう側を、呆然と。 片目の世界はどんな景色なんだろうか。 少なくとも、気のいい世界でないのは、そうなんだろうけど。 ほんの少し差のついた背、一年の頃はほとんど変わらなかったのに。 田島は全然伸びなかった、思えば、栄養が足らなかったんだろうと思う。 神にも弱点はあるものだ、と。だけどそんなの、弱点にもならない。 4という数字は、永遠に田島のものだ。 誰にも、渡ることはないだろう。 心なしか色彩の消えていく不思議な感覚。 陽光のせいで、フォーカスがぶれる。 すぐ近くにいるはずの田島は、すごく遠くにいるようだった。 ぐわん、と揺れているような視界。 唇をかみ締める、あがいても、無駄だったから。 フェンスに寄りかかる田島に歩み寄る。 少しだけ、これくらいの我侭は許してほしい。 倒れこむように、抱え込むように、肩を抱くように腕を回して。 まだ温かい、ちゃんとここにいる。 希薄でありながらも、消えてしまってるわけじゃない。 まだ。 回した腕、田島の細い指が重ねられる。 どんな顔をしているんだろう。 泣き出しそうな顔で、でも唇を噛み締めている。 見なくてもわかる、それだけの時間を過ごした自信は、あったから。 泣かない、絶対に泣かない。 一人になれば泣くくせに、耐えて。 離れている間に、泣くだろう。 帰ってきた時には、泣き止んでるだろう。 笑って迎えるんだ、オレ達を。 「ゴメンな、力足んなくて。」 かろうじてそう、伝える。 何もしないことが強さの肯定であると信じていたせいで招いたことだ。 田島は本当に強いけど、誰よりも弱かったことに気づけなかったから、 我ながら情けない声だ。 一度たりとも、引かなければ。 オレの過信だ。 「泉は悪くねぇよ、な?」 「じゃぁ、じゃあ誰が悪いんだよ…!」 「そうだなぁ…高望みした、鯨のせいかな。」 「…なんだよそれ…意味分かんねぇよ…。」 くる、と顔を向ける。 悲しげな藍に染まった表情で、笑いもせずに、小さく言った。 「オレが悪いんだよ。」 目元から小さく零れた涙を、拭ってやることしか出来なかった。 殊更強く抱きしめてみても、もう力が入らない。 せめてオレは、泣かないでいよう。 歯を食いしばって、ぼろぼろと零れる涙を拭い続けた。 そんなわけないのに、ホントに悪いのが誰かなんて、火を見るより明らかなのに。 どうしてそこまで、アイシテやることが出来る? どうして、田島が泣かなくてはいけない? だけどそれは、田島が望んだことだ。 オレがなんと言おうと、もう、無駄なんだ。 肩の震えが収まる頃、どちらともなく、ありがとう、と伝え合った。 オレは田島に感謝されるようなこと何もしてなかったけど、それでも、よかったから。 「―――泉はそうでなくても、オレは一杯助けられたし。」 「何もしてねぇのに、変な奴だな…。」 「いいだろ、オレが感謝してーだけだから。」 「悪ぃとは言わねーよ。」 日差しは強く、空気も熱されていて、不快指数はかなりのものなのに。 抱きしめた体を離すのが惜しくて、ずっと、こうしていれたら―――。 頭を振る。 それこそ、鯨の高望みだ。 鯨が陸に上がりたいと願って、誰がそれを許す? この我侭は、叶わない。 だから、 「田島。」 「ん?」 「キス、さして。」 「…んなの、聞かなくていいのに。」 「馬鹿。―――-好きだよ、田島。」 「―――オレも、泉、好きだよ。」 初めて触れた田島の唇は、二度と忘れられないほど甘く、切なかった。 知ってる、田島の気持ちなんて。 欲張り。 知ってる、だから自分で追い詰めて。 ゆっくり、体を離す。 炎天下だと言うのに、寒さを感じた。 「すぐ連れてくっから。」 「ん。」 「ちゃんと待ってろよ。」 「大丈夫だよ、待ってっから。」 名残惜しくて、ずっと見つめていたくて。 幻惑は振り払う。 背を向けて、校舎を目指した。 ちゃんと待っていたらなんだっていうんだ。 だけどオレは、それを口にする権利はなかった。 足を急がせるだけだ。 知れている、アイツは見舞いにも来ないで、毎日学校に来ていたんだから。 ぶー、ぶー、と鳴り続けている携帯。 病院を脱走したことがバレてしまったんだろう、時間がない。 携帯には山ほどのメールと電話とが溜まっている、見ている余裕なんて。 走り出す、学校にいるとはいえ、どこにいるかはわからないんだ。 バイブの音が耳障りだ。 操作して、電源を落とした。 アイツは何をするでもなく、事件のあった教室でぼんやりとしていた。 オレが教室に入ってきたことにも気づかないのか、机の上で燦々としている白い花を眺めていた。 ―――飛び降りした女がいる。 田島の話じゃ、その女がオレにとってのすべての元凶。 出来る限り低い声で唸る。 「それがテメェの追っかけてた女かよ。」 「!―――泉…何だよ。」 肩を跳ねさせて振り返る。 困惑に満ちた目が、オレを見ていた。 あの時はただ見上げるだけで、適う由もないと、暗に逃げていた。 だけどこの背は恐くない。 オレは鯨を、海に返さないといけないんだから。 「粗末なもんだぜ、お前さ。惨めじゃねぇの?」 「…うるせぇ、何の用だよ。田島はほっといていいのかよ。」 「テメェが心配する筋合いなんざねぇよ。―――その田島が呼んでんだよ。」 吐き捨てるように言った言葉に、花井は小さく、わかった、と返答した。 薄々はそうなることを知っていたのかもしれない。 だけどお前の考えてることは何一つ起こらないよ。 暗い暗い優越感がひっそりと胸に灯り、そしてオレは、自嘲気味に笑ってみせた。 * 泉がすぐって言ったらすぐだ。 泣いてる暇なんてない。 左目をごしごしと拭って、水を消す。 右は無駄だ、どうせ白い布に消えてしまう。 涙の跡は残るだろうか、この日差しだ、すぐ乾く。 一応、泉に持たされた携帯は、等間隔でずっと鳴り続けていた。 開いて、誰からの着信か確認して、履歴はどんどん消していく。 着信自体は無視。 三橋、栄口、阿部、水谷、西広、巣山、沖、後輩とか親とか、登録してある全部からかかってきてるみたい。 消しても消しても止まらない、だけど出ない。 眼下はグラウンド、フェンス越しに見えるそこには、ほとんど人はいない。 こうしている間は、誰も気にも留めないだろう。 また携帯が鳴る、今度は泉だ。 電話じゃなくて、メール。 『見つけたから、すぐ行く。』 簡潔な文面。 返答はせず、携帯は閉じる。 もうこれは、必要ない。 そ、と床に置いて、踵を返す。 フェンスに足をかけて、超えていく。 足を開くと肋の辺りが強烈に傷んだが、そこに構ってはいられない。 フェンスから空までは少し距離がある、まだ遠い。 歌、か。 鯨は歌えてこそ、綺麗なものだ。 歌を忘れた鯨は、惨めにも丘で打ちひしがれるしかない。 オレにとっての歌は野球、野球の出来ないオレは、海で打ちひしがれる。 海はないから、空に行こう。 歌を忘れて傷ついた、鯨と一緒に。 意識が落ちる前のことを、オレはちゃんと覚えていた。 どうして肋が折れたのか、目を打ちつけたのか、それは覚えてなかったけど。 花井の言った言葉を、オレは一言一句漏らさずに覚えていた。 しばらくしゃがみ込んでいると、きぃ、と錆付いた音がして、背後の扉が開いた。 携帯はまだうるさく鳴り続けている。 フェンスの向こう側で、扉を潜っている泉の姿と、先に降り立ったらしい、花井。 どく、と心臓が鳴る。 呆れた心だ、まだそう、うん、否定はしない。 じゃなきゃ呼んだりしない。 これは我侭だから。 でももう拒否はさせない、大丈夫。 花井は来た、ちゃんと見ていてもらえる。 花井の肩越しに泉と目が合って、泉は小さく微笑むと、後は顔を隠すようにして壁によりかかっていた。 俯いてしまって、もう顔は見えない。 終わるなぁ、と暗に思って。 ちゃんと見据えよう。 泉はもう背を押してくれてるんだ。 気持ちを無碍にしないように。 もう一度胸中で謝る、届かないと知っていても。 伸びた背。 初めて嫌いと罵り合ったあの日からも、もっともっと伸びた。 その腕はきっと、すごく優しいんだろうと思っていたのに。 ううん、優しかったはずだろう? 笑え。 滑稽な自分を、罪深き自分を。 口の端をようやく笑顔を作る頃、花井が先に口を開いた。 「…そんなとこで、何してんだよ。」 「あ?んー…そのうちわかんじゃね?」 「…あぁ、そう。」 どうするかバレても花井は止めないし。 よし、歌ってみせよう。 これは、最後の歌だ。 「花井、オレさ、絶対4番やらねぇから。」 「…んだよ、そんなこと…。」 「この背の4は、永遠にオレがもらってく。」 包帯がずれる。 光を失った目が空気にさらされて、花井がそれと同時に息を詰めた。 「…なんだって…?」 そのままの意味だ、他意はない。 これはオレの番号。 誰にもやらない。 でも、この背を花井は、いつまでも追いかける。 ならもう、オレが持って逝くしかないだろ? 「覚えといてね、オレのこと。」 「た、じま…?」 「嘘ついててゴメンな、オレ、花井のこと本気で好きだった。」 「田島!!やめろッ!!」 無理だよ。 花井が言ったんじゃないか。 お前が死んでしまえって。 オレはそれを、忠実に守るためにここに立ったんだ。 一歩一歩後ろに下がる。 もう後はない。 「――――うまれてきて、ごめんなさい。」 風に乗るサヨナラ。 浮遊感、一瞬のトキメキ。 あまりにもささやかな落日。 続くのは、永遠の空白。 生き残れ、それがオレなりの仕返し。 オレの生が罪なら、生き残る罰を花井に上げる。 どうせ長かねぇんだから。 精々その間、生きてよね。 愛した真実。 亡くした事実。 だから許して。 生まれてきたことを、許してください―――。 不意に伸ばす手は空をつかむ。 絶叫が上がった。 * 耳触りな絶叫が続く。 最中に見えた白い手は、ひらりと落ちていってしまった。 ――――何が、起きた? フル稼働中の頭は、何度も何度も認めたくない事実を吐きだす。 田島が、視界から消えた。 つい今その瞬間まで、微笑んでいた田島が。 何で? その向こうには空しかない。 落ちたのか!?おい誰か!!救急車!! そんな声が遠くに聞こえる、呆然と耳を抜けていく。 「これで満足かよ、お前は。」 押し殺したような、低い声が背後から響く。 呆然としたまま振り返ると、俯いたままの泉が背を壁に預け、腕を組んで立っていた。 満足? どうしてそうなる。 ――――やっと知れた自分の心が、こんな。 「泉、お前…こうなることを知ってて呼んだのかよ…。」 「あぁ、そうだよ。田島が望んだんだ。」 「ッなんで…!!」 「テメェが言ったんだろ、田島に、ならお前が死ねよって。」 「っ…!!」 「自分の言ったこと忘れてんじゃねぇだろうな。」 泉は顔を上げない。 人が一人消えたのに、どうしてそう平然としていられる? どうしてそう、鷹揚に話していられる。 一気に血の上ったオレは、歩み寄るままに泉に近づいて、その胸倉を掴み上げた。 「ふざけんなっ!!お前なら止められたはずじゃな…っ。」 罵ろうとして、口を閉じる。 そんなこと言う権利はなかった。 つ、と流れていく水滴。 幾重にも幾重にも流れた痕が残る、炎天下の中でも、その足元には水滴の後があった。 背けた顔が、不意にこちらを向く。 憎悪に浸った、鋭い目。 思わず緩んだ力に、添えられる手。 「―――ふざけてんのはテメェだろうが…ッ!!」 「っ…。」 「オレにアイツが止められるとでも思ってんのか!? ふざけんな…!!田島を止めれたのはお前だけだったのに!!」 「…っ!!」 「お前が田島を壊したんじゃねぇか!!追い詰めて、殺したんじゃねぇか!!」 まくしたてるように、言葉は続く。 「オレはお前を、絶対に許さねぇ…!!田島がどれだけお前を守っても、もうそんなの意味ねぇんだ…!!」 掴む手を、引き放す。 こんなに強い力だったんだろうか、不謹慎に、思った。 「お前がどれだけ田島にかばわれてたのか!!そんなことも知らねぇでのうのうとして、追い詰めて!!」 「…。」 「お前にとやかく言われる筋合いなんかねぇよ!!」 距離を置いて、泉は吠える。 その間も頬を流れていく涙は、止まりそうにもなかった。 視点を定めた目は、怒りと、憎しみと、絶望と、そんなものに彩られていて。 「もう田島はいねんだよ…!!覚えてろよ…テメェは絶対許さねぇ…!!」 「…。」 「田島がなんと言おうと、オレはお前を許さない!!」 誰にも、何にも、届きはしない。 謝罪も愛も、決して。 憎悪が過去でも、愛が未来でも、もはや可能性はゼロ。 鋭い視線を一身に受けて、最後の瞬間を思い出す。 何故こんなにも、遅くなってしまったんだろうか。 その空白を埋めることは…? NEXT STORY’s SERECT ここまでの閲覧、本当にありがとうございます。 鯨の見た夢8以降は、END分岐という形をとることにさせてもらいました。 勝手な理由です、どっちも書きたかった。 どちらがどういう分岐になるかは、書き上がり次第簡潔に明記させてもらう予定です。 しばしお時間をくださいませ。 そして後記ですが…書く前にプロットの段階で相当泣きわめきました。 何してんだ私、って感じで。 球児野球したいのに、最悪な私何してんだこの野郎みたいな。 いざ執筆の段階になると、眩暈ほどぼろぼろ泣いたりしませんでした。 眠いからかもしれません。 頭が痛くて、なんか限界を越えてしまったのも、あるかもしれない。 さて、鯨ですが、次回予告をすると、片方は次の話で終わります。 もう片方は、2話ほど続きます。 悩んだ末の分岐というか、欲張りと言うか我儘というか。 正直あり得ない、私、いったい何を…; 鯨を書くにあたって、突発ながら割とちゃんと構想は練ってプロットまで書いてみたんですが。 思い通りに進んだ分、ホントにどうしようかと思って。 いざこうして、やっぱり分岐になったって感じです。 では次回、鯨の見た夢 8でお会いできることを祈って。 |