ひたすらに遠い星空の下。

丘の上は今日も嫉妬に狂っています。

君はいつまで歌えていますか?

君は今も、歌えていますか?







鯨の見た夢 5













泉と花井の仲がもともと崩れかけていたのは、少しだけ触れていたけど。
あの日を境に、二人の仲は完全に崩壊してしまったらしい。
今更気にすることじゃないし、望むところだと泉は言う。
花井はそんなこと、気にも留めていない。

だけど、そんなのはオレがいなければ起きなかったはずのことだ。



花井は最近、ずっとイライラしている。
あの日、いつものようでいて、普段のそれとまったく違う抱かれ方をした。
オレの反応のせい、かと言えばそうでもないらしい。
三橋が言うには、その日の放課後にはもう、イライラしていたとか。
オレと会う前。
オレとは、関係ない。
―――本当に?

馬鹿なもんだ。
どうしてこんなに、好きになってしまったんだろう。
イライラの原因を知りたい、出来るなら、解放してあげたい。
それでオレと花井の間にある重い壁が消えるわけじゃない。
もちろん、余計なことだと、さらに関係は悪化するかもしれない。
でも。



笑っていて、ほしいと思う。
心から。

もはや、一度たりと彼はオレには微笑まないだろう。
それは確信であり、あの日以降、業務連絡ですら交わすことはなかった。
だから。

これで最後にしよう。
もう、追いかけるのはやめよう。

泉がいる、泉がいてくれる。

結論に酷く胸が痛む、全身がその答えを否定する。
諦めていいのか?
諦めて逃げて、それで迷惑を被るのは泉だ。



―――花井を、忘れられるのか?



忘れる、これが最後だと、いい聞かせて。
終わる、終わらせる。
二度と触れられない笑顔を、それなら追いかけないでいることで。
もう、いい、よ。









たくさん話を聞いて回った。
泉にも、秘密にした。
聞いた人は誰にも口外しないで欲しいと、それとなく伝えたりして。

ほんの一瞬の時間。
とてもとても、小さなこと。

だけど、もしかしたら花井のためになるかもしれない、
どうしようもないほど、オレは奔走した。



解放される。



ただ、その瞬間を。
信じていた、その時まで。
















休憩のたびにこそこそと教室を出ていたから、さすがに段々泉の目が誤魔化せなくなってきて。
午後の授業が始まる前に、オレは泉に捕まった。
その時もオレは別のところで別の情報を探して、うろついていた後だった。
話したくない、話したら泉は止めないだろうけど。
また悲しげに、笑むだろうから。
笑顔ならば、花が咲くように温かなものが見たい。
一人たりと、オレのせいで悲しげな表情をさせたくない。
話したくない、泉が知れば、泉はまた悲しみながら笑うだろう。



「田島!どこ行ってたんだ…!?」

「あ、ごめ、ん…ちょっと…。」

「何…?話せねーの…?花井絡み?」

「ちげーよ、花井はカンケーねーの!」

「…ホントかよ……。」



嘘、嘘か、これは。
口からデマカセ。
優しいがためにつく嘘も、惑わしたいがためにつく嘘も。
罪悪感なんて、もう感じない。
いつからだった?

―――もうずっと。

嘘はステータス、繰れていなければ呼吸すら出来ないほど。
バレやしない。
隠し通せればそれはもう、真実に違いない。



「ホントだって、心配しすぎ。」



笑っていれば、ウソはホントに見えるから。

そんな毎日を送っているうちに、聞き込みは無駄だとわかった。
多くは仮に知っていても話さない。
人との間に信頼関係なんてないし、濁して終わる。
とくに女の子は十中八九ソレだった、知っている素振りは見せるくせに。



花井クンねぇ〜、あー…うん、ちょっとなー。
答えられない、かなぁ〜。



イラつく心を抑えてありがとう、というけれど。
段々、不毛な行為に苛立ちが隠せなくなってきた。

それとともに、オレは一つの結論を、自分の道で弾き出すことになるんだけど。
















―――花井は、フラれたんだ、あの子に。














しばらくあちこちを見たりして、不意に辿りついた安直な結論。
ある日三橋の話を聞きに花井の教室へ行った時、その結論は、確固たるものに立証されたも同然だった。

いつもなら、見せつけるほど仲のいい二人が、距離を置いている。

その日も、少しはその光景があることを覚悟して足を伸ばしたのに。
それどころか花井は酷く不機嫌な顔で、決して彼女のほうを見ようとはしない。
あの子は、別の男のところで楽しげにしている―――。



確信に変わる。
二人の間には、亀裂が走ってしまったんだ。



あぁ、可哀想な花井。
ずっとずっと彼女のことが好きだったのに。
彼女の隣にいるために、たくさんカッコイイことしてたのに。

いや。

実際は隣にいたのかもしれない、だからこそ、関係が崩壊してしまったのかもしれない。
可哀想な花井。
あの子一筋だったのに、幸せそうだったのに。
いつもいつも寄り添い合って、傍目には羨ましいほどのカップルだったのかもしれない。
それなのに、そんなにあっさりと。
花井の様子を見る限り、彼女の方から距離を取るようにしたのだろう。

花井はあんなに落ち込んでいるのに、彼女は今も、楽しげに笑っている。



三橋の心配げな顔に、オレは笑顔を浮かべて見せた。
安心させようと思った笑みなのに、三橋の肩はびくりと跳ねた。
オレは今どんな顔をしてる?


花井が可哀相だから、悲しんでる?
追いかけるものがなくなって、今ならもしかしてって、喜んでる?
違う、違う、笑えてなんかいないんだ。



―――気だるい。



馬鹿じゃん、花井も。
あんな子、もう忘れてしまえばいいのに。

自分のことは棚に上げて、オレは少しの優越感に浸った。
どうしようもない感情に、これから振り回されて行くんだろう。

片思いは辛いよね、オレはよーっく知ってるよ。

ずっとずっとずっと、オレはずっと花井にカタオモイだったんだから。





ぶつり、と。


何かのキレる音がした。
















「た、田島くん…どうしたの…?」

「――――なんでもねーよ!悪ぃな、時間割かせちゃって!」

「え?え?お、オレは、平気、だけど…!」

「解決しちゃったから、オレ帰るわ!悪ぃな!」

「う、うん…?」







ひた、ひた、と。
足音がする。
廊下を駆けながら、そんなことを思った。
これは迫る音、足音なんかよりも、明確なリミットを指す。
侵食されていく胸のうち。
黒く黒く、どす黒いものに。





――――あの子がいなければ、あの子を笑わせる、あの男がいなければ。


花井は憎らしい気持ちに苛まれることもなくなる。
笑ってはくれないだろう、オレのやり方はいつも、花井にはウザったいだけだから。






教室に帰った時、泉は本当に本当に、悲しそうな顔をしていた。
それはオレが見てきたものの中で、一番胸を締め付ける、悲しい顔だった。
栄口が、小さく、「笑顔もまで亡くしたんだね」と、言うから。

ついにオレは、行きつく所まで来てしまったんだろう、と思った。
堕ちてしまった、失い過ぎて。
忘れてしまった、離れ過ぎて。






ならもう、いい。












































































部活は休ませてもらった。
ずっと調子が悪くて。
部内ではとうに元気一貫というイメージはなくなっていたから、監督は何も言わずに肩を叩いた。
その表情はすごく、優しげで、あぁオレはこの人まで裏切ってしまうんだろうな。
今日の朝練を境に、二度とそこに行くことはない。

きっとオレがバットを握ることは、二度と、ない。
もうあの場所に帰ることはないだろう。
だけど。

オレはやる。



花井の笑顔を、あの女から取り返すために。



オレは正義だ。
今この瞬間を否定する、幾億の理論も来るならば来い。
一つ残らず踏みにじってやる。

絶対的な理由の前に、紙切れ程度のそれが、オレを阻めるものか。
オレには大義名分があるから。

大義名分、ね。
オレもちょっとは賢くなったんだよ。
勉強して、野球も出来て。
そうしていれば、花井の気が引けるから。

身に付くこととか、そんなのはどうでもよかった。

両立させていけばそれってすごく、本当にすごいことだから。
ヒーローだ、勉強も出来て運動も出来て。
これ以上人は、何を望むって?

―――そんな背を、花井なら追いかけてくる。

今もお頭では結局花井には勝てないんだろうけど、いつか勝てるように。
オレはホントにホントに、花井が好きで。
どうしてこんな自己犠牲に走れるのか、もうそれを説明出来るだけの記憶は、ない。

ただ好き。



そして、じきに――――。

















赤い赤い日暮れの教室。
人が消えるのを、ただ待った。
一度部室に向かったオレをクラスメイトは不思議そうな眼でみていたが、みんな深くは留めなかった。
その程度の付き合い、それ以上は望まない。
校舎を震わせる人の声がもう少し静かになれば、あの教室に行こう。
きっと彼女はすぐには帰らない、もう、直感なんだけど。

とくに理由がなくても、一緒にいたいもんだろ?

花井は真っ先に教室を飛び出すらしいから、そうなんじゃないかな、っていうのもある。
まだ春先で、空気は冷たい。
冷えた空気が流れる度に、右の頭の奥がきしきしと痛む。

―――5時半を告げるチャイム。

自由な学校で、このチャイムを守っている人間なんていないけど。
そのころにはもう、人はほとんどいない。

席を立って、教室を出た。
戦場に向かう、確固たる足取りで。
そう、これは戦争だ、勝ち取ってみせてこそ、価値がある。


















花井の教室。
以前は通り過ぎるだけでも辛かったその空間。
密やかな話声、甘い睦言。
胸やけのする、男と女の会話。
それは忘れもしない、オレの――――敵の声。

教室の壁に背を預けて、しばらく耳を傾ける。
日常的な会話、学生らしい、華やかな会話だ。
趣味だとか、流行りのものだとか、そんなもので飾られた。
花井はこんなやつの何処がよかったんだろう?
似てるってだけで、男に手を出させるだけ、欲情出来るんだろうか?
でも花井は手なんか出さないよね、出せないよね。

ホントに好きな人間に、痛いことも怖いこともさせられないもんね。
自分の目の前で傷つけてしまうの、怖いよね。
花井はホントは臆病なところだってあるし、でも、でも。




知ってるよ、花井はホントは。
















優しくて、オレにも、優しかったんだから。





























「―――どもー。」

「っ!?あ、…野球部、の。」





引き戸を引けば、全面に赤の世界。
気持ち悪いほど甘ったるい、男と女の世界だ。
甘いものに塗りたくられた、こんな教室で。
花井が息をしていた、可哀想に、毒に当てられてるようなもんだ。

ぴしりと固まる二人の表情。
顔の筋肉は、ぴしりとも動かない。

まったくの無表情ってところ。

栄口の言葉を思い出して、そうなんだなと、改めて実感した。
歌を忘れた鯨じゃないか。



「え、と、どう、したの?」



句切れ句切れの言葉。
端々から滲み出る恐怖心。
教室の中は本当に二人だけの世界だったんだろう。
ただ話に花を咲かせていた、それだけの話。

そっくりなのかな、本当に。
確かに背丈とか、釣り目とか、連想的なものはあるけど。





オレは、こんなに小さいの?



体格の問題じゃ、なくて。
もっとこう、人間としての部分で。
絶対的に違う、なのに花井はどうして。

オレを代わりに選んだり、するんだよ。































「―――戦争に。」





























空気が冷たい。





























脆く崩れやすい性質のそれは、軽く揺さぶるだけで意識を飛ばしてしまった。
これはもう逃げだす術を持たないから、あとでいい。
ここにいるだけでもう、逃げ場なんてない。

右目がジンジンと痛むから、その痛みを払いたくて腕を振る。

鈍い感触。
ご、という重い音。
軽い体は簡単に飛んで、理不尽な壁の冷たさに触れてしまう。

逃がしてたまるか。

抵抗に、傷が増える。
引っ掻き傷が、打撲が、何よりもっと大きな空洞が。




傷はいらない!!

もう入る場所なんてない!!

定員オーバーなんだ!!

帰って!!

重なり合うように悲鳴を上げる。



振り払うように手を上げた。
この手が落ちれば、容易く折れてしまうだろう―――。
ふ、と力を込めたとき。






傷だらけの腕が、強い力に引かれた。
振りおろそうとしたその腕が、オレの力を上回る力で―――。




















「――――部活サボって何やってんだよ、テメェ。」






























背筋が凍る。



怒気を孕んだ、だけど、冷たい冷たい声が。



はない、くん。



女の口が動く。



その瞬間、すごい力でオレの体は引かれ、思いっきり壁に投げつけられた。
がん、とそれこそ酷い音がして、脳がぶれる。
ぐらりぐらりと揺れる視界の端で、女が―――花井に助け起こされて。



なんで、なんで、なんで!!

なんでここに花井がいるんだよ!

部活は!?
















「何で………!!何で邪魔すんだよッ!!」



「うるせぇっ!!お前に何の権利があって、こんなことが出来るんだ!!」



「そいつのせいで…!!そんな女…!!」















止まらない。





























「死んじゃえばいいのにッ!!」





























しん、と静まり帰る教室。
オレの怒声だけが、静かに空間を震わせて、すぐに消える。
ぴりぴりとした空気は消えない、ちりちりする頭も、冷えない。

止まらない、だって。



オレは勝ちにきたのに。











「―――…なんでこの子が死ななきゃいけねぇんだよ。」
















花井の声は、どこまでも静かだった。
だけどその声は、信じられないほど冷たくて。



酷く、怒っていた。



彼女は逃げていく。
床で伸びていた、あの男を残して。

花井の目から、視線がそらせない。

一挙動がすべてスローモーション。
ただただ、意識の向こうで、右手は霞んで。






















































「――――お前が死ねばいいだろうがッ!!」












































痛みを超えると、許容範囲を超えると、熱くなるって言うけど。
酷く脇腹が熱い。
思い切り蹴られた、そこが、熱い。
背にあるのは、何だろう、冷たくて軽い何か。

痛みに霞む目を、懸命に開ける。
ひたり、落ちてくる―――水滴。




















右目が捉えた最後の映像は、一直線に落ちてくる――――。































NEXT














ぐああああ、病み田島が楽しすぎてなんだかなーっ!!←
世界は病めば病むほど笑うんですが、田島は病めば病むほど笑えなくてもいいなーとか(ぇ
とんでも無表情っていい。
これは短く収めるつもりだったのですが…およそそんな長くならないうちに終わらせる予定です。
ただ未定ではあるのですが…(ぁ
大きく動いた一話だった、というくらいで。