3. 項か鎖骨か




ふと気を抜けば、追いかけていく視線は常に薄く張ったそこかもしくは―――。




我ながら、引いてしまいそうになる。
顔を合わせれば、すれ違えば、休憩になれば。
一瞬でも視界をかすめれば、どうしても視線を持っていかれる。
意識してそらそうとしても、理性が言うことを効かない。

変に煽られてから、必要以上に意識してしまう。

投球練習の時なんて最悪だ。
隣には阿部と三橋も練習をしているし、すぐ傍には沖もいる。

なのに、防具さえ透かす勢いで目線が行く。
人の視線も気にせずに、まっすぐ。



「花井!何してんだよ!ボケっとしてねぇで投げろって!!」
「あ、あぁ!ゴメン!!」



グローブの中のボールをつかみ直して、キャッチャーミットを構える田島の方へ。
が、ミットの上を通り越し、その首筋が目端にちらつく。
防具はしっかりとその身を守っているはずなのに、何故か。



「―――阿部ぇっ、花井がオカシイ!!」
「…あァ?んだよ、調子悪ぃの?」



一向に構えることすら始めない花井の様子を見てか、痺れを切らした田島が跳ね上がる。
フェンスの向こうで三橋と投げ合っていた阿部が、捕らえたボールを持ちかえつつ振り返った。
不可解そうに寄せられた眉がこっちを向くが、別に体調が悪いわけじゃない。



「あぁいや、別に体調が悪ぃわけじゃねーっつーか…。」
「じゃーなんで投げねぇんだよ、ミットの方見るだけ見て黙り込んでさ!」
「あー…えぇと……。」



詰め寄られるとなお困る。
もっと鮮明に見えてしまう、離れた位置から防具を越して見るよりも。
そんな状況でないのは自分自身理解しているのに。

建設しなおした理性はどうも、欠陥工事だったらしい。
田島が視界に入れば、一瞬で理性のタガが外れかかる。

蹴りをくらったあの日から、変に田島を意識してしまう。
田島はそのことについて一切触れてこないし、自分自身、その話題には触れ辛い。
むしろまったく変異がないからこそ、逆に意識も向くというか。
言い訳も否定もない、ただ、肯定もないとはいえ。

露出した部分には、真っ先に目が行く。
自分でも頭がおかしくなってしまっているのを感じるが、理性はうまく働いてくれていない。



「―――いっ!!花井!!」
「っあ、ゴメン、なんだったか…?」
「お前な…!三橋、田島と投球してろ、ちゃんと沖とも変われよ。」
「あ、阿部、くん、は?」
「頭冷やさせて来る、すぐ戻るから。」
「花井のこと頼むぞー。」



そんな大したことでは、と言おうとしたが言えなかった。
大事でないはずがない、練習にも支障をきたして、何が大したことではないだ。
腕を阿部に掴まれ、引きずられるようにしてベンチに向かった。
田島はもう、捕球の態勢に入っている―――。






「で、どうしたんだって?最近特に考え込んでるみたいだけど。」



阿部がボソボソと監督に何やらと告げ、ベンチへと引きずり込まれる。
監督は阿部くんに任せると言って、花井にはいつもの笑みを一つ寄こしただけだった。

阿部の直球が、今は困る。
三橋のようにどもられるのは苛立つ、阿部のようにストレートな話し方をするほうが好きだ。
だが、状況が状況なだけに、どう口を開いていいものか。
そもそも、伝えていいことなのだろうか?これは。



「―――田島のことか?」

「!」

「図星かよ、最近じーっと見てるもんな、気持ち悪ぃくらい。」

「…気持ち悪くて悪かったな。」

「いや、ごめん、冗談。」




阿部の冗談は冗談に聞こえない、そんな真顔で言われても。
ただ、気持ちが悪いという自覚はあるだけに、刺さるような言葉に聞こえてしまって。



「田島見てる限りはなんかあったと思えねぇんだけど、話せるなら話しとけよ。」



阿部の性格が悪いことは、周知の事実である。
これに話すと何があるかはまったく想定出来ない、むしろ阿部に頼るくらいなら栄口に頼ったほうがいいような気もする。
――といっても、栄口を巻き込むなら、阿部を巻き込んだほうがいいような。



「―――阿部はさ、気になる奴とかいんの?」
「…それ、今関係あんのか?」
「おぉ、大あり。」
「………いないことはない、けど…それがどうしたってんだよ?」

「首筋とか項とか、気になるもん?」

「………。」



向かい合う視線が、ぴき、と凍りつく。
引いたんだろうか?
が、その心配は一瞬で砕け散ることになった。



「そりゃ気になる、つい目が行く。そんなもんじゃねぇ?」
「…そうか、阿部も男だな…。」
「るせぇ、んなこと悩んでんのか?アホくせぇ。」
「いや、もっと重症。すれ違う度に目が行くわ、目が離れないわ。他のこと考えらんねーんだ。」



「…田島相手に?」




どーんと直球勝負。
あまりにも気まずくなり、ぶつかった視線を下げる。
二人しかいないベンチには、バットがボールを打つ爽やかな音だけが響いていた。
あぁやっぱり阿部に話すんじゃなかった、気まずいったらない。
ほんの数秒か数分か、感覚も鈍る。




「…人のこと言えねぇし、別にアリなんじゃねぇの?」

「…は?」

「ある意味役得なんじゃね?花井の視界なら、項なり鎖骨なり、境界なくダイレクトだろ。」

「…あぁ、うん、そうだけど。」

「まぁ問題は理性だな、とりあえず抜いといたらどうだ?」

「んな時間ねーっての、田島じゃねぇし…。」

「…あいつの体力はホントに感心するぜ。」

「寝るか食うかボール投げてバット振ってるか、空いた時間は勉強だ。」

「…田島の体力は余裕なんなら、襲っとけば?」

「…未遂。」

「…手ぇ早ぇ…。」



耳が痛いとはこのことか、否定する要素はない。

話したからといって変わるものでもない、状況は。
自分はやっぱり田島に目が行くし、いつか慣れるのを気長に待つしか道はないような気がする。



「…なぁ、男が男を、自分から煽るってある?」
「それこそ意味わかんねぇ、煽られたのかよ?」
「おぉ。」



瞬間、阿部の顔色が変わる。
焦り返したような、何とも表現のしにくい顔。
がし、と両肩を掴まれて前後に揺すられる。



「田島に!?」
「お、おぉ。」
「どんな状況だそれは!!」
「えぇと、教室で日誌書いてて、田島が乱入してきて、いつの間にか二人きりで…。」



鬼気迫る勢いで問い詰められたかと思えば、阿部は首を落として大きくため息。



「…羨ましいやつ。」

「は…?」

「いいか花井、お前にスゲェいい一手やるから。まぁそんな大したもんじゃねぇよ。」

「は?あ、あぁ?」

「2日以内に綺麗にまとめろよ。」



にやり、擬音が付きそうな阿部の笑み。
悪魔の笑みというのは、こういうのを言うんだろうか。









その後、気が気でないまま練習に戻ったが、それは果たしていつも通りの動きだったのか、よくわからない。
ただ練習後に訪れるであろう阿部の無茶振りに、どう対応していけばいいのかそればかりで。
そして、やっぱり視界に移る白い項や、鎖骨に意識をとられて。
主将にあるまじき態度だっただろう、ホントに、自分の不器用さには涙が出そうだ。
不器用で、勝負度胸もない、情けないったらない。

が、今は。

薄暗くなってグラウンドのベンチにはもう、自分と田島しかいない。
つい今し方までチームメイト達に囲まれていたのだが、あれよあれよいう間に阿部が追い出してしまった。
おおよそコンビニあたりでたむろしているのだろうが、今この場にはいない。
三橋について帰ろうとする田島をなだめた阿部は、一つ壮絶な笑みを浮かべて先に行っているから、と言い残して去って行った。
ホントにプレッシャーをかけるのが好きな男だ。

そんなわけで、気まずいながら結局今ここに、二人きりで顔を合わせている。
部誌を書き終われば、二人きりの空間は終り。
機を逃せば、じゃあ帰るか、だけで終わってしまう。


「花井、もう大丈夫なのか?」
「え?あ、あぁ。」
「そか、花井も阿部も、なんか変だったからみんなで心配してて。」
「そりゃ悪かったな…。」


普段通りの会話。
ただそれだけでも、とてつもなく緊張していた。
無意識に握った拳は、段々と汗を染み出す。

阿部は何、難しいことはないと言ったが。
自分にとっては、これ以上の難題はないだろう。



(据え膳食わねばって、もはや意味が分かんねぇよ…阿部…!)



阿部の性格の悪さは知っているが、この言葉を信用していいのかはわからない。



「花井〜?終わったんなら早く行こうぜ、みんな帰っちゃう。」

「えっ、あ…。」

「あ?」



決断、しなければ。
今を逃せば、阿部に何を言われるかわかったものじゃない。
ネジの外れた理性が持ち直すのなら、やるしかないだろう。
不思議そうな視線を向けてくる田島を見据えて、深呼吸。



「―――田島。」

「お、おぅ、何?」

「こっち、ここまで。」



突如強張った田島の顔。
部誌とボールペンを避けて、正面に来るように手招き。
一瞬迷うような素振りを見せて、怯えた子供のように小さな足取りで足を踏み出す。
もともとそう距離はなく、すぐに正面まで。
自分が座っている分には、田島のほうが大きい。



「お前、脇、効く?」

「え?いや、あんま…っおわ!」



返答があるなり、腰の辺りに腕を回して引き寄せる。
前ほど乱暴ではないのに、驚くほど従順に田島はベンチに膝を掛ける。
自分が見上げて、田島が見下ろす。
目の前には、焦がれに焦がれた剥き出しの鎖骨。
誘う肌を振り切るようにして見上げれば、完全に困惑しきった視線とぶつかる。



「はない…な、んだよ…?」

「抵抗。」

「は…?」

「しねぇの?」



腰に当てていた右手を田島の頬へ、肩が跳ねる。
頬を引き寄せ位置を定めて、自分は目を閉じる。
やり方なんぞは知らない、恥ずかしながら初経験だ。
抵抗がないのをいいことに、さらに引き寄せて、触れる。
柔らかい、なんて。
ものの数秒触れて、すぐに離す。
目を開けると、暗闇でもわかるほど顔を真っ赤にした田島の顔がそこにある。
途端に自分の心臓が、唐突に大量の血液を送り出して、体温が上がる。

なのに、今すぐ襲いかかろうとか、飛んだ意識はどこにも湧かなかった。
熱くなった田島の頬に、指が触れている。
それだけなのに、自分がどんどん熱くなる。
目の前にある、首筋にすり寄れば、肩は小さく跳ねるがやはり抵抗はない。
バランスがとれないから頬の手を背に回して、抱きつく。
あれだけの練習をこなしたあとで、当然のように薄く汗ばんだ首筋。
すり寄るだけじゃ物足りず、唇を当てる。
鎖骨のあたりからなぞるように、首筋を項に向けて。



「っ…はな、い…!」



声では呼べども、抵抗はしない。
首筋が熱い。
2、3度くらい繰り返して、それからゆっくり体を離す。



「なんで抵抗しねぇんだよ、俺、男だぞ。」

「るせぇ…っ。」



薄明かりでも分かるほど耳まで赤くさせて、なんだか。
―――随分頭がおかしいらしい。



「ばかお前…もうみんな帰ってるじゃんよ…。」


「んだよ、気にするとこはそこか?」

「…あーもう…!何なんだよ、バカヤロー…!」



ごねる姿は、あの日の田島と同一人物だなんて思えない。
ダメだ、これ以上だと、少しまずい。



「…帰るか。」

「…おぅ。」

「降りれるか?」

「馬鹿にすんなよなっ…。」



ベンチに掛けた足を器用に下ろして、地面に降り立つ。
体が離れて、少し冷めた風を感じる。
すぐに立ちあがって、部誌とボールぺンとを片付けた。



「たぶん、この時間ならまだコンビニいるんじゃね?」

「ん…俺、帰る、なんか三橋らに会いたくねーってか…!」

「そうか、まぁこの距離に危ないも何もねーとは思うけど、気をつけろよ。」

「それ言うなら、花井のほうが気をつけろよな!」

「お前のがよっぽど襲われそうじゃねーか…。」

「んなっ…は、花井のバカヤロっ!〜〜〜っ覚えとけよ!!」



床に投げてあったカバンをひっつかむと、勢いよく走り去っていく。
駐輪場でばったりというのはあまりに恥ずかしい、少し時間をずらしたほうがいいだろう。

危なかった、あの場で。
つい、言ってはいけないことを口走ってしまいそうで。



「阿部の野郎、何が据え善食わねばだ…。」



結構、頭を冷やさなければいけない気がする。
あの田島が、頬を染めて動揺していたというそれだけで。




「美味しい状況だったなんて、思ったらダメだよな…。」







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梓さんが理性の使い方を覚えました(何
田島様は組み伏せられるのは嫌いだけど、上に乗るのはすごい楽しいんだと思う。
また危ないことに危ないシーンに突っ込みそうでしたよ、軌道修正軌道修正。
阿部が予想外にキモくならないことに苦戦したけど、確信犯で据え善云々とかいう阿部は結構気持ち悪いなとか思ったり。
実はこそっとアベミハ臭を漂わせたけど、全然こそっとになってない件はスルー。
梓さんは、田島様よりもすげぇ鈍感です。



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